<パックス・タタターリカ>・3

 

 

僕の大ハーン就任の祝宴。

それは、「予定」では三ヶ月続き、「宴中に何か良いことがあれば」さらに続く。

祝いの席でさらに良いことが起きるのは、瑞兆として喜ばれることだから、

形式好きな老臣たちは、何かしら「新たな大ハーンの門出を天が祝った証」を見つけてきて、

祝宴を半年くらいは引き伸ばすだろう。

それは、決して長い宴では、ない。

タタタールの宴は、年単位に及ぶことさえあるのだ。

実際、初代大ハーンが死に、二代目の大ハーンが就任したときの「祝宴」は二年間も続いた。

その頃には、まだタタタールが草原の小部族だった頃の風習が色濃く残り、

生前に次期大ハーンを指名しておく後継制度がまだなかったため、

まず大ハーンを決めるクリルタイ(継承会議)が行われた。

タタタールの実力者がすべて集い、様々な駆け引きが繰り返されて、

大ハーンが正式に定まるまで、一年。

その体制と帝国の戦略を決め、各々に染み渡らせるまでに、また一年。

僕の場合は、父上が生前に皇太子に任命し、様々な準備を整えていたため、

タタタールとしては異例の速さで大ハーン位を継ぐことができた。

だけど、「これから」のことについて皆に伝えるためには、

やっぱり半年くらい時間をかけなければならない。

 

……タタタールは、他の民族から、「政治のない民族」と思われている。

たしかに外から見る騎馬部族の生活は、

戦争と狩りと放牧と、そして祝宴だけで成り立っているように見える。

だけど、草原の一族、それも支配層の人間は、

十分に「話し合い」と「駆け引き」というものの価値を知っている。

実際の戦いになれば、どうあっても相手を殺し、略奪し、縄張りから追い立てる蛮族。

――だからこそ、決定的な戦いになるまでは、なるべく話し合いと駆け引きで物事を決める。

それが、タタタールだ。

だから、クリルタイや帝国の重大事を決定する会議は、常に「満場一致の賛成」で終わる。

それはつまり、議題に入る前に、すべての有力者に根回しをして、交渉をして、賛同を得て、

正式な会議が始まったときには、全員がハーンの出す決定を支持することで折り合いがついている。

あるいは、つくまで会議を始めないということ。

集まって、飲み、食らい、踊り、歌を歌う。

草原の中でめったに会うことのない親戚や縁者と再会の挨拶を交わす。

何事もない、ただの宴と集まり。

その中で、草原の支配者たちは、こっそりと大事(だいじ)を決める。

広大な草原の中、しかも数年も会わないような人間同士が集まるのだ。

お互いが、莫大な情報を持ち寄っている。

 

誰が嫁取りをした。

どこの湖が枯れた。

どの部族長がどのハーンに近づいている。

どこに行けば茶葉が安く買える。

何の品がどこの都市(まち)で高く売れた。

どこのバァトルが誰と仲たがいした。

誰に頼めば、どの部族にうまく取り成してくれる。

誰に赤ん坊が生まれた。

どこで塩が安く手に入る。

どの将軍が、今一番ハーンの信頼が厚い。

誰がどれだけ武器を欲しがっている。

だれが羊の病気に詳しい。

どこの道を通れば今年は砂漠越えが楽だ。

──どのハーンが、今、一番強い。

 

取るに足らないことから、世界を変えうる重大なものまで同じように取り交わし、

自分たちの「立場」を決め、自分たちの未来についてまわりと「折り合い」を付ける。

そして、タタタールの会議前の長い長い「祝宴」は、その「折り合い」をつける場に他ならない。

 

 

「――わが軍団は、大ハーンに従いますぞ。

どこまでも従いますぞ。ご尊父の代と変わらぬご信頼を」

「ありがとう。よろしく頼む」

背の高い勇者(バァトル)が、僕の杯を受ける。

言葉を繰り返す癖があるこの武将は、

東北の草原に住む従兄弟で、父上が重用していた将軍の一人。

「もう傷は治った?」

ナイマンタルはちょっと顔をしかめた。

「まさか、思いませんでした。

ジャベイが反撃できるとは思いませんでした。――私の見立てが甘かった」

そういうつもりで言ったんじゃないけど、

ナイマンタルは、率直に先の戦の失敗を認めることばを口にした。

東北の従兄弟は、この間、カイゾンの武将の一人と戦って敗れたばかりだった。

西の草原の不作で食料が乏しい部族を狙って遊撃していたナイマンタルは、

ジャベイという将軍の一隊を追い詰めた。

相手に倍する軍隊をぶつけて戦ったのだけど、

ジャベイは若いのに恐ろしく強く、食料もないのに、三日三晩戦い続けて

ついにはナイマンタルを打ち破り、手傷まで負わせた。

──まるでカイゾンのような、人間離れした芸当だ。

東北の従兄弟は、勇敢で、戦も上手い。

僕の国では十の指のうちに入るバァトルだ。

それが、これだけ有利な状況で勝てないということに、

僕もみんなも、とても驚いていた。

──カイゾンの軍隊は、カイゾン本人だけでなく、武将もみんな強い。

食べなくても、眠らなくても、倍の相手に勝てる。

西の草原にいる連中は、みんなバケモノなのだろうか。

「しかし、実感しますな。つくづく先代様の偉大さを実感しますな。

あんな連中を相手に、一歩も引かないなど、並みの人間にできることではありません」

実直な将軍は、ため息をついた。

それから、自分が何を言ったのか気がついて慌てて言葉を継ぐ。

「あ……、い、いや別に大ハーンのことがどうというわけではなく……」

慌てているせいか、いつもの言葉を繰り返す癖もでないで

しどろもどろになっている将軍に、僕は苦笑して答えた。

「いいよ、ナイマンタル。そのことは僕が一番良く知っている」

 

実際、僕の父上はものすごい男だった。

その思いは、死後、日を追うごとにひしひしと強くなる。

父上は、カイゾンと二十年間争い続けた。

それは、東の農耕地を支配化に収めた経済大国と、

西の草原で鉄騎を駆る軍事強国との、信念と信念との戦いだった。

あらゆるものを飲み込んで世界を統べる大国に変わろうとする父上と、

最強の草原の民であり続けようとするカイゾン。

二人は、タタタールの民の在りようについてどちらも譲らなかった。

──大ハーンか、カイゾンか。

偉大なる二人は、タタタールの民に、その選択を厳しく突きつけた。

敵か、味方か、どちらか片方。

あいまいは、許されない。

戦は、カイゾンが小さく小さく勝ち続けた。

でも、父上は、それに倍する重圧をかけ、大きく奪い返した。

ナイマンタルの戦のような負け方を続けても、

決して挫けず、ひたすらに戦い続け、物量で圧倒して、

最後には、カイゾンを戦場から去らせた。

その巌(いわお)のような精神力。

それこそが、バァトルの中のバァトル、<タタタール一の超人>を相手にして

互角に戦っていると誰もが認めた、もう一人の<タタタール一の超人>だった。

 

「……ま、戦に負けはつき物だからね。

ジャベイだって次に三日三晩戦えるとは限らない。

──みんながみんな、カイゾンみたいな超人じゃないんだし」

僕は隣に座っているシルンドのほうを振り返った。

変な激励をした新皇后のことばに、東北の従兄弟は、毒気を抜かれたようだったが、

やがて、くくくっと喉の奥で笑った。

「ははは、そうですな。確かにそうですな。

敵が皆、カイゾンというわけでもありません。

次はジャベイくらいには勝って見せましょう」

ナイマンタルは、にやりと笑ってから退っていった。

「……シルンド」

「何? このお茶菓子なら、あげないからね」

七日前の儀式でタタタール一の貴婦人になったばかりのチビ助は、

すました顔でお茶を飲んでいる。

ツァイとはちがって、茶葉と岩塩だけで入れたやつだ。

タタタールの宴席では、男には酒を、女には茶を出す。

そして大いに食べ、話し、座に興じるのだ。

「いや、なんでもない……」

シルンドは軽く言ったけど、カイゾンのような武将が何人も現れたら大変だ。

「ほらほら、シケた顔してないで。次のお客だよ」

シルンドが指で突っつくので、僕は慌てて椅子の上で行儀を正した。

 

「おめでとうございます」

「ありがとう」

「おめでとうございます」

「…ありがとう」

「おめでとうございます」

「……ありがとう」

祝いの献上品の目録を受け取り、下賜の品の目録を渡す。

客の一人がゲルから出るとき、緞子が風で舞い上がって、

外に並んだ有力者たちの列が長く長く続いているのを見て、

僕は小さくため息をついた。

まあ、これから半年、これが僕の仕事だ。八日目くらいで飽きて入られない。

──宴席で、美味いものを食べられることは、悪くないことだったが。

「……今の、誰だっけ?」

丸々太った羊を百頭献上してきた部族長がゲルから出て行くと、

僕はシルンドにそっと聞いた。

「は? 君のお祖父様の弟の養子だよ」

シルンドは、ちょっとあきれ顔で、でも即座に答えた。

 

草原の民は、遊牧の中の暮らしで、世界中の草原を渡り歩く。

そして、結婚は、他の部族から妻を迎える。

だから、タタタールの家系図は複雑怪奇だ。

おまけに、早婚で、有力者は何人も妻を迎えて子供を産ませるから、

親類関係は、ちょっとすごいことになる。

「……お祖父様の何番目の弟だ?」

「……教えてもいいけど、教えたところで、君、思い出す?」

「むむむ」

「……二十三番目の弟。

君の曾お祖父様がジバールから略奪してきた第五夫人が三番目に生んだ人」

「……おー、思い出した、思い出したよ」

「本当に?」

「ほ、本当だよ!」

「……本当は二十六番目の弟なんだけど? 第五夫人が六番目に生んだ人」

「だ、騙したなっ!」

僕は、当然のことながら、末端の親類をよく覚えていない。

僕が見知っているのは、帝国の主だった重臣と、彼らが正妻に産ませた跡継ぎ候補たちで、

分家筋の人間までは、こんなときでなければ顔を合わせたりしない。

逆にシルンドはそういうことについては得意で、

何千人もいる僕の親類をぴたりと言い当てる。

男には男同士の付き合いがあるように、女には女同士の付き合いがある。

そこでいろんなことを聞いておいて、心の中に留めておくから、

誰が誰なのか、どんな奴なのか、よく知っているという。

まあ、親切付き合いなどは、たいてい男よりも女のほうが熱心だ。

これは西のエウロペナから東のチーヌまで世界中変わらない。

「まあ、いいや……。あ。今の人には、こないだチーヌが献上してきた絹をあげたよ」

シルンドはため息をつきながら、そう言った。

「へえ、そんなもん欲しがっているのか。そうは見えなかったけどな」

よく日に焼けた熟練の戦士の顔と綺麗な絹の山とは、頭の中でうまく結びつかない。

 

「あの人は、四番目の娘さんが婚礼前なんだ。

花嫁衣装に使ういい絹布を探してるって聞いたよ」

「へえ。誰がそんなこと言ってたんだ?」

「パゴ叔母さん。君の父上の三十二番目の──」

「ああ、あの人なら僕でも覚えているよ。あの声のでかい噂話好きの人だろ?」

「そ。三年前、君の母上のお誕生日のお祝いに来て……」

「西のほうの大きな鶏をくれたっけ。あれは旨かった!」

「……食べ物に関することはよく覚えてるんだね」

「そりゃそうさ」

自慢じゃないが、僕は食べ物については熱心だ。

ついでに言うと、宝石だの絹布だのの財宝にはあまり熱心ではない。

多分、シルンドが分け与えたチーヌの絹というのは、

さっきの部族長が献上した百頭の羊の何倍もの価値があるにちがいないが、

僕はあまり気にしていなかった。

大ハーンはその富裕を皆に示すべきだし、

それは現状では、部下を慰撫し、味方を増やす術にもなる、立派な政治手段だ。

──まあ、正直に言うと、絹の布は食べられないから、

丸々太った羊のほうが僕にとって価値がある、ということもある。

「いい物々交換だね」

僕の顔から何を読み取ったか、シルンドはくすりと笑った。

この娘は、誰にどんな下賜品をあげると良いか、考えるのが上手い。

それだけでなく、彼らがどんな部族で、誰とどんな関係があって、

どんなものを欲しがっているのかを、本当によく知っている。

そしてそれを用意し、気前良く与えて、ハーンの評判を上げることができる。

──それは、大ハーンの妻にとって、一番重要な能力であるらしい。

 

だから僕は、今日、三十八番目に挨拶に来た

──つまり、それほど有力と言うわけでもない部族の長――のときに、

シルンドが献上品を拒んだことにびっくりした。

 

「……これって、近くの市場で買った羊だよね?」

シルンドは、ゲルの前に連れられてきた羊の群れを指差した。

丸々太った、いい羊。

脂が乗って旨そうだ。

先ほど僕のお祖父さんの二十四番目の弟の養子さんが献上して来た羊にも劣らない。

……あれ、二十七番目だったかな?

どちらにしても、いい羊だ。

「……はい。<上の都>の手前に開いたバザール(市場)で買い求めました」

部族長は頷いて答えた。

この小柄な初老の長がしたことは、別に珍しいことではない。

自分が作ったものや育てたもの、あるいは分捕ってきたもの

つまり、自分の力で得たものを贈るのは良いことだけど、

それが難しいときに、買い求めたものを代わりに贈るのも、非礼ではない。

草原の暮らしは、自然と外敵との戦いだ。

いつでも必要なものを必要なときに揃えられるとは限らない。

だから、草原の民は、集まると挨拶と宴会と同時に物々交換を始める。

こうした大宴会が開かれるときに、

同時にまわりでバザールが立てられるのはそのためだ。

バザールには生活必需品から金銀宝石まで、色んなものを扱う商人で溢れかえるけど、

その中でも馬や羊は、贈答品にも滞在中の食料にもなる一番便利で重要な「財産」だ。

商人たちや近くの部族の人間は、馬や羊の群れを連れて集まり、

バザールの裏には大きな牧場を作って遠方からの客と取引する。

地平線の彼方からやってきた部族は、

長旅で痩せた自分の群れの羊二頭と太った羊一頭をバザールで交換して、

挨拶をしに行く相手への贈り物にする。

──そうしたことは草原の民の常識的な行動だった。

だけど、シルンドは、それに異を唱えた。

「これもいい羊だ。すっごくいい羊だよ。

だけど、大ハーンは貴方の群れの羊を献上してくれるともっと喜ぶんじゃないかなあ?」

シルンドは、真っ白な毛をした、大きな羊を眺めながら言う。

「……ざ、残念ながら、今年は西の草原はあまり草が良くありませんので、

私の連れてきた群れからは、ここまで太った羊は揃えられません……」

部族長は目を白黒させながら答えた。

今までの参列者の中にも、この部族長のように

市で献上品を買い揃えてきた人が大勢いるはずだ。

それなのに、ことさらこの人だけにそう言うのは、変な話だった。

部族長の額には、暑くもない季節なのに汗が浮かんでいる。

それはそうだろう。

大ハーンや、その皇后が贈り物を受け取らないことはめったにない。

それは、大変なことだからだ。

献上品が拒まれるということは、相手の恭順を拒絶すること。

(お前は気に食わないから、お前からの贈り物は受け取らない)

そう言っているに等しい。

僕があまり顔を知らない小さな部族長は、

大ハーンの皇后のことばに、顔を真っ青にしていた。

「おい……」

これ以上はかわいそうだ。

実際、西の草原は、ここ二十年来、僕の国とカイゾンとの戦場になって落ち着かないし、

ましてや、今年は草の出来がよくない年だった。

羊を飼うのがうまい男でも、西ではなかなか羊を太らせられないのだ。

部族長が、献上品としてバザールで買った羊を選んだのは、とても当然のことだ。

さすがに、僕は、声をあげかけた。

僕がの羊を受け入れれば、話は丸く収まる。

だけど──。

シルンドが、僕の手をそっと握った。

(黙って聞いていて)

小さな手のひらは、そう言っていた。

 

別にそういう合図を決めているわけではない。

でも、子供の頃からいっしょに育ってきた相手とは、

ことばがなくても考えが通じ合える。

肌が触れれば、なおさらだ。

だから、僕は上げかけた声を飲み込んだ。

シルンドは、僕だけにわかるようににっこりと笑って、話を続けた。

「……貴方が羊飼いの名人だってこと、聞いているよ。

大ハーンに献上する羊が一頭もないってことはないんじゃないかな」

「こ、皇后様。そうは言いましても……」

「……それに、貴方の娘さんの旦那も羊飼いが上手いんだって?

<大ハーンは、その羊を食べるのを楽しみにしている>よ?」

──シルンドが、何気なく、本当に何気ない調子でことばを続けた。

だけど、部族長は、はっとした様子で顔を上げた。

「娘の夫……ですか?」

「うん。貴方の何番目の娘の旦那さんか覚えてないけど、

たしか誰か、羊を飼うのが上手い人がいたはずだよね?」

「……」

部族長は、黙って何かを考え始めた。

なぜか、僕のほうを見て。

シルンドは、にこにことしてそれを眺める。

やがて、小柄な、初老の部族長は、おずおずと口を開いた。

「……先ほど申し上げたとおり、西の草原の羊はみな痩せております。

私の娘たちの夫の群れも、おそらくは。それでもよろしいので──?」

「うん。ボクらの大ハーンは、とっても喰いしん坊なんだ。

貴方の娘さんの旦那の羊がどんなに痩せてても美味しく食べちゃうよ。

それに、<痩せてる羊は、いい草の生えてる草原で遊ばせればいい>し」

「よろしいのですか?」

「いいでしょ、ね? 大ハーン?」

シルンドは僕のほうを振り返った。

 

……話が、よく分からない。

よく分からないけど──。

「ああ、うん。もちろん頂くとも。

痩せた羊は、いい牧草地で太らせればいいし、ね」

──よく分からないまま、僕は頷いた。

シルンドの言うとおり、僕は喰いしん坊だ。

だけど、決して好き嫌いはない。

旨いものを食べるのは大好きだけど、贅沢をしたいとは思わないし、

まずいから残すとか、捨てるとか、いらない、とかは考えない。

痩せた羊が食卓に出ても、ありがたく腹に収める。

何より、そういうものも美味しく食べるのは工夫次第だと

いつも僕に言い、それを実践してみせる娘を妻に迎えた男だった。

「決まりだね! ちょっとだけ、待ってあげる。

この羊の代わりに、大ハーンに別の羊で作った大串を献上して!」

シルンドが笑いながらそう言った時、――まわりの廷臣たちが一瞬ざわめいた。

 

「いったい、何をしたんだ、シルンド?」

部族長が退出すると、僕は一旦休憩を取ると宣言した。

そのまま、シルンドのオルドに入る。

皇后が、取るに足らない部族長の献上品を出しなおすように言った話は、

何か特別な意味があるようだった。

大臣たちがひそひそと相談しあい、シルンドのほうをちらちらと見ているのは、

隣に座っている僕にはよく見えた。

この娘がいったい、何を考えているのか、

何が起こったのか、僕にはよくわからない。

だから、オルドに戻ってすぐに、僕はシルンドに詰め寄った。

「んー? んんー。ボクは何もしてないよ?」

シルンドは、くすくす笑いながら伸びをした。

「何もしてないってことはないだろう。

大臣たちも、お前のことを見ていたぞ。

いったい、何をやらかしたんだ、お前?」

「あー、うん。そうだね、君がした。――すごいこと」

「……え?」

「うん。さっき、君、すごいことした。君のお父上ができなかったこと」

「なんだ、それ?」

「だからさ、――今のは、ボクが何かしたわけじゃないのさ。

大臣たちも、ボクのことを見てたわけじゃない。

ボクに「ああ言わせた」君の様子を伺っていたんだよ。

君がすごいことを、とてもすごいことを「許可した」からね」

シルンドは相変わらず、くすくすと笑っているので、

僕は、彼女が冗談を言ってからかっているとばかり思った。

だから、僕は、腕を振り上げて、シルンドに詰め寄った。

「こら。ふざけるのもいい加減にしろ」

「きゃんっ」

手を伸ばして、ひょいと、担ぎ上げる。

「悪い子は、お尻叩きの刑だぞ」

「や、それは、ちょっ……」

草原の民の子供たちが、一番恐れるおしおきは、お尻叩きだ。

馬に乗れないくらいに、こっぴどく叩かれるのは、痛いし、恐いし、恥ずかしい。

僕も、シルンドも、親からそうやって育てられた。

だから、小柄な娘は、空中で、子供のようにじたばた暴れた。

「ちょ、待って、待って。ボク、ふざけてないよっ!」

「本当に?」

「ほんと、ほんと。それより、せっかくの休憩中なんだから、

ボクのお尻を叩くより、もっといいことしようよ!」

シルンドは、僕に持ち上げられたまま、必死になって言った。

 

「もっといいこと?」

「うん。君はすごく気に入ると思うな」

「よし、聞いてやろう」

僕は、おそらくタタタール史上一番小さな皇后を地面に下ろした。

「えへへ。ボクのお尻は、叩くよりも、可愛がるほうがが楽しいと思うよ?」

シルンドは後ろを向いて豪奢な乗馬袴をずり下げ、白いお尻をむき出しにした。

確かに、いい提案だ。

小さなお尻を抱きかかえる。

「あはっ、みんな待ってるから、早く済ませちゃわないとねっ!」

大ハーンと皇后がいなければ、祝宴にならない。

「そうだな。まあ、そんなに待たせないだろう」

「君、この体勢ですると早いからね」

僕の腕の中で、腰をくねらせながらシルンドが笑った。

「……お前がもう濡れてるから、準備に時間かけなくていい、

という意味で言ったつもりなんだけどなあ」

「あはっ、それもあるねっ! ボクも、こうやってするの好きだよ!」

テーブルに手を付いて腰をつき出したシルンドに、

後ろから交わるこの体位は、たしかに気持ちいい。

何より、「大ハーンは、お茶一杯を飲む間の短い休憩を取っている」と

みんなが思っているときに、シルンドとこうしてまぐわっていると思うと、

そのいやらしさに、ぞくぞくする。

新しい大ハーンは、こんな短い休憩時間を使ってでも、

皇后に精液をぶちまけなければいられない変態だ。

そう思うと、さらに激しい衝動に駆られる。

後ろを向いたシルンドが子供のように小さなお尻をしているのも、

僕の中の獣(けだもの)を猛り立てる。

硬くそそり立った僕の男の印を、シルンドの小ぶりな女の器にねじ込む。

 

「んんっ!!」

潤んだ肉を割って、狭い通路を押し通っていく。

白い小鹿を犯す、野獣。

「んっ……そこ…いいっ……!」

シルンドが喘ぎ声をあげる。

「ゲルの外まで聞こえるぞ?」

耳元でささやくと、シルンドはびくん、と身体を震わせた。

「だって……、君の、気持ちいいんだもんっ……!」

背筋のぞくぞくが止まらなくなる、かわいい声。

僕は、シルンドの耳元でささやき続けた。

「僕は聞かれても別にいいんだけど……」

「んっ、ふうっ……?」

「……タタタールの新しい皇后はこんなにはしたない声をあげる、

って、皆に知られてもいいのかなあ?」

「そん、なっ……っ」

シルンドの頬が真っ赤になったのは、見なくても分かる。

「あ、でも、ここをこうすると……」

「んくぅっ!!」

深く突き入れると、シルンドは、爪先立ちになって仰け反った。

「お前、これ弱いよなあ」

「いじわ…る……っ!」

シルンドは、必死で声を押し殺そうとしながら、

振り返って僕を睨んだ。

潤んだ瞳が、この上なく綺麗。

喘いで開けた、唇と舌も濡れ濡れとして、

まるで、今僕が蹂躙しているシルンドの女性器のように淫靡だ。

「……」

僕は思わず手を伸ばした。

指を、シルンドの口の中に入れる。

シルンドは、それを吸い始めた。

まるで、僕の男根にするように。

舐め、しゃぶり、吸いたてる。

それは、僕の妻ののもう一つの性器。

シルンドの口を指で犯しながら、僕の興奮は、最高潮に達した。

「んくうっ!!」

「んんっ!!」

シルンドに覆いかぶさって、果てる。

シルンドの中に、精液を注ぎこむ。

僕の指を吸いたてながら、シルンドも、達したようだった。

 

「んん……えへへ……」

テーブルの上にぐったりと上体を預けながら、

シルンドは、まだ僕の指をしゃぶり続けていた。

「うまいのか」

冗談のつもりで言ってみる。

「ん。なかなか。……これは、馬の肉の匂いだね。

あ、焼リンゴの味もするよ」

……そう言えば、さっきそんなものをつまんだような気がする。

「僕の指は食べ物じゃないぞ」

「んんー。まあ、そうかもね」

シルンドは、舌で僕の指の腹を舐めあげた。

閨で、僕の男根にするのと同じ舌使い。

「――えへへ。食べ物じゃなかったら、君のアレの代わりかな?」

「まったく……」

僕はため息をつきながら、シルンドの戯れに付き合った。

シルンドに触れている指が、温かい。

それは、シルンドの舌の温かさではなく、彼女の、もっと、奥底の暖かさ。

「あのさ……」

「なんだ?」

「君、どう思ってる? この宴会……」

 

「どうって……」

僕は、耳を済ませた。

ゲルの外で、にぎやかな音がしているのが聞こえる。

僕のいる大ゲルの回りは、もう何十万人と言うタタタールの民が集まっていた。

祝宴はあちらこちらで張られ、皆がそれぞれに飲み食いをしている。

ざわめきと、歓声。

聞こえてくるのは、生きること、楽しむことが生み出す、あらゆる音。

彼らは、もちろん僕の大ハーン就任を祝うために集まってきたのだけど、

あるいは、彼らにとって、新しい大ハーンの誕生など、

こうして集まるための口実に過ぎないのかも知れない。

どこかのゲルでひときわ大きな笑い声が上がる。

「……僕らがこうして大ゲルを抜け出しているのも、

みんなには関係ないことなのかもな」

思わず、そうつぶやくと、シルンドはくすくすと笑った。

「みんな、そうだよ。美味しいもの食べて、好きな人とむつみ合って、

丸々太った羊を飼って、綺麗な服を着て、好きな相手とむつみ合って、

元気な子供作って、美味しいもの食べて、楽しく生きることが好き。

──そのために人は集まるんだ」

「そうだな」

シルンドのささやき声は、心の底に染み渡る。

……なんだか、食べることとむつみ合うことは繰り返したような気もするが。

「──ね、今日は、もう謁見はお仕舞いにしちゃおうよ。

これから朝まで、ボクとこうして遊んじゃおう!」

シルンドは、くすくす笑いを止めることなく、僕の股間に手を伸ばした。

「おいおい……」

たしかに、もう夕刻だ。

八日目になれば、早めに打ち切っても別にかまいはしないけど──。

「ほら、君のここも大賛成って言ってるし!」

シルンドは、また大きくなり始めた僕の性器をさすりながら言った。

……ちょっと反則気味なところもないではないが。

「そうだな。早めに休んでおくか」

「そうそう。明日はきっといいことあるから、早く休もうっ!」

シルンドは、にっこりと笑って抱きついてきた。

 

そして僕は、シルンドのその言葉が本当のことだったことを、朝になって知った。

 

 

 

「舅(しゅうと)どのから聞いた。大ハーンは、私の羊の肉を受け入れると」

ざわめく廷臣たちをまるで無視して、大ゲルの前で献上品――羊肉を焼いた大串を掲げて言ったのは、剽悍なバァトル。

「……私は三日三晩飲まず喰わず眠らずに戦い、あなたの将軍を破った。

チーヌの農地に依存せずに生きる草原の男である私は、それだけ強かったからだ」

僕の国の国是とは、まったく違う道を選んだ、純粋な草原の民。

「……だが、もう一回そうしろと言われても、私は、もうそれを出来ない」

率直な言葉を吐く、眼光の鋭い将軍。

「……私の妻は身重だし、私の羊はこの通り痩せ細って、次の冬を越せないかもしれないからだ」

飢えて、薄汚れ、鋭い牙を持つ狼。

「だから、大ハーンが、東にある牧草地で私の群れと家族を養っても良いと言うのなら、

──私は、大ハーンのためにこの弓を使いたい」

そして、超人ではない家族たちと、家畜の群れを守らなければならない、ただの人間。

カイゾンの有力な武将──だった男、ジャベイは、

彼の妻の父親である、あの初老の小柄な部族長と並んで僕の目の前に立っていた。

昨日、僕らの前から去った部族長は、そのまま<西の草原>まで駆け、

娘婿のジャベイとともに夜通し駆けて戻ってきたのだ。

僕は、唖然として二人を交互に眺めた。

頭の中でいろんなことがぐるぐる巡っている。

 

タタタールの親戚縁戚は複雑で、意外な人が意外な人間の縁者だということ。

長い長い戦いで、西の草原の民は、強くてもお腹が空いていること。

バァトルだって、みんながみんなカイゾンのような化物でないこと。

そして、僕の父上は、カイゾンと同じく理想に厳しいハーンであったから、

カイゾンからは離れたいけど、父上の方針に全て従いたくもない人間を受け入れることができなかったこと。

──父上が相手ならジャベイは肉を差し出すことはなかったろうし、父上もこの肉を受け入れないだろう。

だけど僕は、僕なら……。

 

「どうしたの? ジャベイの羊肉、食べないの?」

シルンドが、横でいたずらっぽい微笑を浮かべていた。

「……食べるさ。食べるとも」

僕は、ジャベイの掲げた大串を手に取って、かぶりついた。

痩せた、脂身のない肉。

でも、それは──美味。タタタールそのものの、味。

「大ハーンは、ジャベイの恭順を受け入れた!

勇者ジャベイは、これより大ハーンの武将だ!」

僕が羊肉を咀嚼すると、大臣の誰かが、大声で叫んだ。

それはどよめきを生んで周囲に広がっていった。

「大ハーンは、カイゾンから離れる人間を誰でも受け入れるぞっ!」

「大ハーンに味方するのなら、羊も、牧草も、金銀でも、絹布でも、いくらでも与えるぞっ!!」

「ジャベイまで大ハーンに膝を折ったのだ、続け、続け!!」

声は、途中で、様々なことばを付け加えられて広まって行く。

それは、間違いではない。

ジャベイが差し出した肉を食べるということの意味を、

僕は、胃の腑でようやく理解した。

「シルンド……」

振り返ると、僕の素敵な皇后は、くすくす笑いを止められずにお腹を抱えて笑っていた。

「さあ、大変だよ。大ハーン様!

何しろ、君はこれから、たくさんたくさん、痩せた羊を食べなきゃならない。

羊が痩せて困っているから、カイゾンから君に鞍替えしたい兵士、

君に痩せた羊の肉を差し出して、代わりに牧草と財宝を貰いたがっている兵士は、

いっぱいいるだろうからね!」

「そうだな……。たぶん二十万人のうち、十五万人くらいは、だろ?」

「あははっ、ご名答!」

シルンドは、ひときわ大きく笑った。

「――でも安心していいよ。ボクは料理が得意だからね。

脂が少ない硬い肉でも、君においしいものを食べさせられると思うよっ!!」

「……そうだな、うんと旨く料理してくれ」

「まかせてっ!!」

僕の奥さんは、ぐっと拳を握って宣言した。

 

 

 

──史書にある。

ジャベイの離反を機に、厳しい草原主義者であるカイゾンから、

多くの兵と部族が、中庸な大ハーンに身を寄せた。

東の農地から多くの食料を取り寄せられる大ハーンと、

昔ながらの草原遊牧しか生産手段を持たないカイゾンとでは、

経済力の大きな差があり、それは、<西の草原>の牧草不作の年にはっきりと現れた。

大ハーン側に寝返ったその数は、カイゾンの勢力の実に四分の三に及んだという。

大ハーンの兵力は七十五万となり、カイゾンの兵力は五万となった。

そして、両者は、はじめて激突した。

 

 

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