TO MAKE THE LAST BATTLE 3〜 地下2階>

 

「くっ、こいつ──」

何度も渾身の一撃を与えているのに一向に倒れる気配がない敵に、戦士が苛立ちの声を上げる。

「ジンス、一度下がれ!」

雷電の指令に、大男がステップバックをする。

その空間を、強烈な一撃が薙いだ。

一瞬の判断を誤れば致命的な一撃を食らっていたところだ。

「マイティオーク、これほど手ごわいとは……!」

パーティーの人数が足りないため、前列の三人目を受け持っているスティルガーが驚嘆の声を上げる。

司教の彼は、直接戦闘に参加せず、魔法の援護と防御に専念している。

この樫の木の化物と打撃戦になったら、一瞬で殺されることは目に見えていた。

白兵戦のプロである二人でさえ、この巨大な怪物相手では、攻撃を食らわないことで精一杯だ。

たまのチャンスに攻撃を入れても、人間の数百倍の生命力を持つマイティオークには痛くもかゆくもないだろう。

<災厄の中心>の迷宮で、単純な体力だけならば地獄の魔神よりも強い、といわれた化物だ。

「下がって! ──策がある!」

意を決したようにスティルガーが叫ぶ。

大きさ1フィート半もある古びた本がその手にあった。

「マバディ!」

司教の声と同時に、薄暗い影がマイティオークを包み込む。

──樫の木の巨体が、急に萎れたようになった。

「効いた! 今なら斃せる!」

スティルガーの指示が飛ぶより早く、雷電が飛び込んだ。

細身の曲刀の一閃で、巨大な木の怪物は音を立てて崩れ落ちた。

「……すごいな、その法術」

ジンスが驚きの表情でスティルガーを見る。

「マバディ、相手の生命力のほとんどを吸い取ってしまう呪文だよ。僕はまだ習得していないけど、

この<死者の書>……、あ、違う、<死の本>にはその魔力がこめられている……いや、いた……」

過去形で言い直した司教は、悲しげに手に持った本──の残骸を見つめた。

使用すると三分の一の確率で魔力を失う<死の本>は、今の使用でまさにガラクタに変わってしまったのだ。

金貨五万枚で取引されるという高価な品も、資産数百万ゴールドのスティルガーにとっては本来惜しいものではない。

だが、それは地上での場合だ。

迷宮の中で強力な魔品を失うことほど、大きな痛手はない。

特に、こんな強敵がうろつく迷宮では。

 

「これほどの魔物がいるとは、正直予想外だった」

スティルガーは唇を噛んだ。

世界の破滅の日でも取引をとめることはないというボルタック商店は市内の混乱とも無縁だった。

迷宮に入る前にそこに立ちより、運べる限界まで魔品を買い込んできたという、裕福で賢明な司教のおかげで、

先ほどの戦闘のように、本来のパーティーの実力以上の敵を撃破してきた四人だが、そうした魔品も尽きてきた。

そして──。

「いい知らせと、悪い知らせとがあるよ」

憂鬱そうな表情で偵察から戻ってきたダジャが報告した。

「いい知らせは?」

「この先の小部屋ゾーンに、トレボー軍の拠点があるわ。そこに誘拐された人が全員囚われているようね」

「おお!」

雷電とジンスが声を上げた。

「悪い知らせは?」

「<バラの貴婦人>はそこに全員終結しているわ。

トレボー王は出陣したらしくて<ソフトーク・オールスターズ>も不在。

他の連中はろくなのが残っていないわ。

……でも、逆にそのせいで<貴婦人>が残っているようね」

「……本拠地の防御司令官というわけか」

スティルガーは腕を組んだ。

ちらりと雷電を伺う。

女忍者をさらわれた侍の決意は揺るがない。──女魔術師をさらわれた戦士の決意も、だ。

「やってみる──しかないな。ダジャ、配置は分かるかい?」

「スティルガー……」

女盗賊は相棒──今は夫に抗議が入り混じった声を上げた。

危険すぎる。

四人がかりでも<貴婦人>にはまったく歯が立たないのは、はじめから分かっていたことだ。

司教の立てた戦略も、<貴婦人>とは戦わずに、アイリアンとオーレリアスを奪還するというものだったはずだ。

「まずは考えて見なければ、始まらないだろう。それに……」

司教は腕を組んだ。

言うべきか、言わざるべきか、迷っている風だ。

「それに?」

「何かが、僕たちを後押ししてくれている感じがする。──君らは感じないか?」

「ああ、お前もそれに気がついていたか」

雷電が即答した。ジンスとダジャは顔を見合わせた。この二人は鈍いらしい。

 

「背後で何度か戦闘の気配があった。巧妙に隠してあったが、トレボーの召喚した魔物の死体をみた。

──おそらくは、先ほどのマイティオークと同じか、もっと手ごわい奴だ」

「まさか──誰が?」

「きっとトレボーとその配下が気に食わない奴らだろうね。連中にも色々あるんだろう。

反逆した<ソフトーク・オールスターズ>に先んじて市立博物館からハースニールを盗んだ奴もいる。

そもそも、トレボーは、<魔道王ワードナ>という敵がいる」

「ワ、ワードナまでもここに来ているのか!?」

ジンスが「御伽噺の中の大魔術師」の名に、息を飲み込んで聞き返した。

「それはわからないが、ワードナか、それに近い存在がこのあたりをうろついているのは確かだ」

夫の返答に、ダジャは片眉をあげて夫を睨んだ。

「……でも、そいつらが私たちの味方とは限らないじゃないの」

「──だね。そいつらの目的か何かは分からない。

案外面白がってやっているだけかもしれない。あてにはできない」

「……でも少なくともトレボーの敵と言うことにはちがいない。

不利にはならない不確定要素というところ?」

ダジャは考え考え言った。ためらいがちに見つめてくる妻の視線に、スティルガーが頷く。

「まあ、どちらにせよ、僕たちは引けない──いや、引かない」

女盗賊が一瞬息を呑み、にっこり笑って頷いた。

「あなたも? ──私もそう思っていたわ」

「気が合うね、さすが夫婦だ」

太っちょの司教は笑顔を浮かべた。

「戦略は、結局一つだ。<貴婦人>たちをおびき寄せ、隙を突いて二人を奪還する」

「見えない<敵の敵>が都合よく動いてくれるといいんだけど」

背後の闇を見つめながらダジャが呟く。

雷電とジンスは、無言で正面の闇を見つめている。

しばらくして、司教が立ち上がった。

「作戦が決まったよ──運を天に任せよう」

 

「侵入者……?」

カディジャール婦人は視線を机から上げた。

「そのようですね」

ワンダ公爵婦人が頷いて立ち上がった。他の四人も同様だ。

部屋に駆け込んできた伝令は、すでに<貴婦人>が戦闘準備を整えているのにびっくりしたが、

すぐに悲鳴のような声で報告した。

「しゅ、襲撃です。倉庫から火の手が!」

「取り乱すな、馬鹿者。──敵は何者か?」

クネグナンダが叱咤し、若い戦士ははっとしたように我に還った。

「──人数は不明です。しかし、戦士と侍が一人ずつ斬り込んできています。それと──」

遠くで大きな音がした。何かの魔法だろう。

「しょ、正体不明の魔物が二匹!!」

「魔物!?」

<バラの貴婦人>たちは顔を見合わせた。

トレボー王が地獄からの帰還の際に呼び出した魔物たちは、当然、彼女たちの味方だ。

その多くはこの拠点の周りをうろつかせているが、それ以外のものが現れたとは。

「あの化物たちを突破してきたのか。その戦士と侍、それに新手の魔物。あなどれんな」

「もしや、ワードナが……」

貴婦人たちは、彼らの主君が唯一警戒する<魔道王>の名を口にした。

たしかにあの悪の大魔術師ならば、地獄から呼び出した最強レベルの魔物にも対抗する存在を召喚できるだろう。

「──相手が何者かはわからぬが、これは陽動だ。目的は、……人質の奪還」

カディジャール婦人が断言した。

他の五人がはっとしたように顔を見合わせる。

たしかに<狂王>不在のこの拠点への強襲の目的は、それしか考えられない。

敵の脅威や正体に目を奪われず、その目的を察知して防ぐのが現在の使命だ。

「ダイアナ、クネグナンダ、アンバーは応戦に出なさい。他の二人は私とともに、牢屋へ!」

カディジャール婦人の采配は完璧だった。

──ぱっと散った女ロードたちの最後の一人は、部屋から出る前に立ちすくむ伝令ににっこりと笑いかけた。

「緊張した? ──すぐに慣れるわよ。あなたなら大丈夫、見所あるもの。

──もし良かったら、戦闘が終わった後で私の部屋に来なさい。色々仕込んであげる」

マーラ伯爵婦人は情夫に優しいことで知られているが、六人の中で実は最も手が早いことは、あまり知られていない。

 

「素直に飛び込んできたな! ──おかげで助かるが」

暴れまわる魔物を横目に、雷電が苦笑混じりの声を上げた。

彼らの突撃と同時に出現した二匹の魔物は、

まるでパーティーの一員のようにぴったりとタイミングを合わせて戦っていた。

「スフィンクス──ピラミッドの守護者だ」

スティルガーが驚嘆の声を上げる。

賢者も及ばぬ知性と、強力な魔力、そして圧倒的な体力。

人面と翼を持つ獅子――迷宮最下層級の魔物だ。

閃光を伴う爆風と、古代の神の激怒が、荒れ狂う奔流となってトレボー軍の兵士と魔物たちをなぎ払う。

ティルトウェイトとマリクト──魔術師と僧侶の最高攻撃呪文。

「スフィンクスの雄は最高級の魔術師、雌は最高級の僧侶だと言われるけど、本当だったんだ!」

司教は興奮した声を上げた。

「──だが、ここまでよ!」

爆風の中から声がした。

スフィンクスの片割れが飛び下がる。その肩口が斜めに切り裂かれて、大量の血が飛び散った。

「不意を打った私の一撃を、避けるか」

深手を与えた事を誇るよりも、一撃で切り殺せなかった事を悔いるのは、最強のロードならではのセリフだった。

ダイアナ公爵婦人は、焔と煙が晴れた中でその美しいたたずまいを崩さずに剣を構えなおした。

その左右に立つ二人の女も同様に、おそろいの<オーディンソード>を抜き放つ。

「<バラの貴婦人>──」

雷電が低い声で敵の名を呟いた。

「……三人か。陽動作戦は読まれていたな」

スティルガーが悔しそうな声を上げた。

「みたいね。──冷静ならば、それしか考えられないけど、こいつらの襲撃を前にしてその判断ができるとはさすがね」

いつの間にか戻ってきたダジャが司教の横に並びながら緊張した声を上げた。

当初の予定では、前衛の二人が切り込む間に彼女が牢屋を破る予定だったが、鉄壁の陣形を敷きなおした

<バラの貴婦人>のフォーメーションに、アタックを仕掛けることができず戻ってきたのだ。

「正面衝突か、……分が悪いな」

二体のスフィンクスを味方に付けてさえ、三人の女ロードは手に余る強敵だった。

 

古代語の声があがった。

スフィンクスの片方が、傷を負った相方にマディを掛けたのだ。

治癒の術をかけたほうが、ふさがった傷跡をなぞるように舐め上げる。

──寄り添う二匹の魔物の姿は、単に仲間と言う間柄とは思えない。

スフィンクスは雌雄一対で行動する。この二匹はつがいなのだ。

「ごめん。──巻き込んでしまった」

スティルガーは慙愧の思いがこもった声を上げた。

その顔は、うつむいている。ダジャがその様子を見つめる。

司教は、意を決したように顔を上げた。そして、女盗賊も。

「……雷電、ジンス。──行け! こいつらは、僕たちが食い止める」

「……そう、ここはあたしらに任せて行きなよ!」

「──なっ!?」

大男の戦士が呆然とした声を上げた。

全員でかかっても危ない相手に、どうして司教と盗賊の二人だけで持ちこたえられるだろうか。

しかし、スティルガーは行動を始めていた。

複雑な印を結び、手を振りかざす。見たこともない術だ。

「結界を張った! 少しだけなら、この呪文で持ちこたえられる!」

不可視の壁が、絶妙のタイミングで場を分割した。

一瞬、<バラの貴婦人>たちは奥への通路から遮断され、雷電とジンスの位置が奥への通路と繋がる。

──雷電は小さく頷いた。

「……感謝する。──見知らぬ人よ」

ジンスがあっけに取られた。

「雷電、何を言っているんだ?」

侍は、背中越しに戦士の疑問に答えた。

「本物のダジャは妊娠中だ。スティルガーは、身重の妻を戦いに連れてくるような男ではない」

「……ありゃ、最初からばればれだったようですね。あなた方の記憶からうまく再現してみたつもりでしたが」

偽ダジャが頭をかいた。

声は女盗賊のままだが、口調がまるで別人だ。

「いや、確信したのは、突撃前のやりとりからだ。蘇生の術を掛けてもらった時に、なんとなく違和感はあったがな」

雷電は微笑した。

 

「ならば、ここは任せてもらいましょうか。こちらの心配は不要なことは分かりますね?」

「ああ、貴公らがスフィンクスを操っていたのも、な。ならば、俺たちが心配するのもおこがましい」

「どういたしまして」

女盗賊はにっこり笑った。

「──ばれたついでにお土産です。これを持ってお行きなさい。そちらも──勝ち目は十分あります」

偽ダジャが腕を振った。どこから取り出したのか、細身の曲刀がその手から飛び、雷電の手に移った。

「これは! 重ね重ね、かたじけない!」

「──そなたはこれを持って行くが良い」

偽スティルガーがジンスに言った。

こちらは途中から声さえも変わっている。なまめかしい女の声だ。

投げつけたのは、両手持ちの大剣だ。どういう投げ方をしたのか、柄がすっぽりとジンスの手に収まる。

「こ、こいつは……!?」

「結界が切れる、早く行きや!」

侍と戦士は頷いた。

全速で走るために今まで使っていた剣を外して、駆け出す。

<貴婦人>たちは追おうとしたが、消える寸前の結界に阻まれてたたらを踏むうちに、追撃のタイミングを逸した。

二人の男が走り去った戦場に残ったのは、三人の女ロードと、女盗賊と司教──の偽者。

 

「……結果的には妊娠云々でばれましたが、──それ以前に、男と女が逆では、やはり無理がありましたよ」

偽ダジャが若い男の声で言った。

「──むう。かと言って、わらわが盗賊役で、そなたが司教役ではごまかしも利くまい」

偽スティルガーは女の声で答えた。

「姉上が魔法と法術を使うのはともかく、私が盗賊と言うのも無理がありますねえ」

「どちらにせよ、あの侍の目をごまかすことはできなかっただろう。だったら好きなほうに化けるのが得という物だ」

「姉上はその、「ふくふくした衣装」に興味があったようで」

「それに、そなたの女装も久々に見たかったものでな」

「……姉上は、よくそうやって私をいじめたものです」

「あれは、姉弟の仲良い遊びと言うものじゃ。

それに、そなたもまんざらでもなかったはず。特に私の下着の着用を許したときなどは」

「そ、それは……その…」

ダジャとスティルガー、いやそれに「化けて」いる者たちは、

最強クラスのロードたちに取り囲まれても平然と無駄話に興じていた。

 

「……お前たち──何者だ?」

公爵夫人が苛立ちの声を上げた。

「さて? 正義の味方とでも言っておくかの」

偽スティルガーはこともなげに言い放った。

「なっ……!」

人を食った回答に、クネグナンダ公爵婦人が顔をゆがめる。

「──トレボー陛下の敵が、正義を名乗るか」

ダイアナ公爵婦人が冷静な声で問うた。

返事は──嘲笑だった。

「そんなことはどうでもよい。あの魔女の敵と言うことは、そなたたちが悪者ということじゃ。

わらわの可愛いスフィンクスにも傷を負わせてくれたことだしな。許せん奴ばらじゃ」

単純明快、かつ傲慢極まりない決め付けに、一瞬、女ロードたちは顔を見合わせた。

「まあ、それはそれとして、仮装もそろそろ終わりにするか」

偽スティルガーは司教衣の袖を振るった。

白い布が<貴婦人>たちの視界をさえぎり、闇に溶けた。

「──!!」

今まで偽司教と偽女盗賊の立っていた位置に、高貴な男女が並んでいた。

黒髪と小麦色の肌を異国の装束に包んだその姿は、<バラの貴婦人>が気圧されるほどの威厳と美しさに満ちている。

麻でできた純白の衣は、袖の縁取り以外の飾り気が無いシンプルなものであったが、豪奢なドレスよりも眼を引く。

たとえ、頭や首にきらめく黄金の装身具がなくとも、

この二人が貴族──あるいはそれ以上の存在であることは疑いなかった。

「何者だ!?」

「そなた達ごときに名乗る名は、ない」

女──ネフェル王妃は驕慢に言い切った。

「さきほどの勇敢な戦士二人にならば、敬意を表して名乗ってもよかったが、な」

男──ラムセス大帝が静かに言葉を続けた。

二人の美しい貴人が、自分たち三人を見下していることに気づき、<貴婦人>たちは美貌に怒気をのぼらせた。

「われらを愚弄するか!」

三人の中で最も気が短いクネグナンダ公爵婦人が叫んだが、

異国の女王とその夫は、地を這う虫を見るような視線を返しただけだった。

貴族は、自分に対して向けられる視線──尊敬と軽蔑に対する感覚が鋭い。

女ロードたちは卒倒せんばかりに怒り狂った。

 

柳眉を逆立てる、とは美女の怒りの様を言う。

美しい女は、怒ってさえも人目を奪うほどに美しいのだ。

しかし、三人の貴婦人が眉を吊り上げ、肩を震わせる姿を見ても、今それに注目するものは居ないだろう。

ネフェル王妃が眉をしかめたからだ。

古来、憂い顔の美女はさらに魅力を増し、醜女すらそれを真似たという。

美しさに眼を惹かれる者の瞳は、より美しいものに吸い寄せられる。

この場に百万人の観客がいたとしたら、その全てが古代の女王のほうに目を向けただろう。

「嫌な匂いがする──」

場の中心を独占する、その美女がつぶやいた。

「そなた達は、三人とも複数のおのこの精汁の匂いで満ち溢れておる。脂の乗り具合からして、三人とも既婚者と見た。

──わらわの大嫌いな不倫の汚臭がぷんぷんするわえ、──汚らわしい」

数千年を閲してなお、夫への愛情のみに生きる女王にとって、背徳の快楽は唾棄の対象に他ならないのだろう。

「私たちの夫はとっくに死んでいるわ──私たちが殺した」

「ますます汚らわしい、──この下衆めが」

貴婦人の反論に、ネフェル王妃は心底軽蔑しきった表情になった。

「……下衆……。下衆と言うか、我ら<バラの貴婦人>を……! こ、この下賎の女がっ!!」

クネグナンダが激情に肩を震わせた。

その震えが止まった。

空気がぴぃん、と張り詰め、凍り付いていた。

「──下賎と言ったか、我が妻を?」

その声は、むしろ水のように静かだった。

「──下賎と言ったか、我が姉上を?」

再度の声は、さらに静かだった。

今まで太陽のような王妃の陰に、月のごとく寄り添っていた男が、ゆっくりと歩を進めていた。

ネフェル王妃が、ごく自然な動作で夫に場所を譲る。太陽が月に、月が太陽になった。

古代のどんな王よりも偉大で無慈悲で強力だった征服者──ラムセス大帝は、

仮面のように無表情な美貌を三人の無礼者に向けた。

「その一言、償わせなければなるまいな」

<貴婦人>たちは自分たちの死刑宣告を遠いところで聞いたような気がした。

 

「何を、寝ぼけた事を……」

クネグナンダ公爵婦人は嘲笑を浮かべようとしたが、しかし、それは失敗した。

身体が震えている。

先刻までの怒りの震えではなかった。

──恐怖だ。

リルガミン屈指の女ロード三人が、この男一人の存在におびえている。

しかし三人は、<バラの貴婦人>だった。

剣を構えなおすと、震えはぴたりと止まった。

三本のオーディンソードから研ぎ澄まされた殺気が放たれる。

常人ならば、それだけで立っていられぬほどの濃密な気の放射の中で、古代の王は平然と歩き出した。

「良いものがあった」

今にも飛び掛らんとする剣客三人を全く気にすることなく、その間合いの中で若者は身をかがめた。

カタナとブロードソード──自分達の贈った剣の代わりに雷電とジンスが置いていったものだ。

拾い上げて両手に持つ。

笑顔がこぼれた。

<貴婦人>でさえも一瞬心を奪われるほどに美しく、爽やかで、男の魅力に満ち溢れた笑顔だった。

「いい剣だ。──久々に良き戦士たちの魂に触れた」

女ロードたちが頭を振った。

動揺した自分を叱咤するように、挑発の言葉を投げかける。

「そんな汚い剣、魔力もこめられていないものを──!」

「しかも、持ち主がやすやすと捨てて行ったものを乞食のごとく拾うとは!」

「まさか、その剣でわれらと斬り結ぼうというのではなかろうな!?」

闇を照らすロミルワの光の中で、オーディンソードの汚れなき刀身が誇らしげに煌いた。

──その光が翳った。

若者が手にした剣を振ったのだ。

右手に持った刀と、左手に持った剣を一回ずつ。

それだけで、北風すさぶ地の最高神の名を冠した聖剣が、輝きを失った。

「汚いと言ったか、この剣を。確かにお前たちの剣は綺麗なものだな。

オーディンソード、……我はその最初の一振りを知っている。

後の世に魔道士と剣匠たちがヴァルキリー達のために数打ったものではないぞ。

八本足の戦馬に乗った片目の老人が腰に佩いていたものだ。

……その最後の一振りも知っている。

<災厄の中心>で魔女ソーンを討った剣士が愛用していたものだ。

──そのどちらも、柄は汚れて、刀身は刃こぼれしていた。

一日も欠けることなき修練と戦いと手入れを繰り返せば、そうなる。──この刀と剣のように」 

 

若者の声が続いた。

「……やすやすと捨てて行った、と笑ったな。

これほどまでに使い込んだ愛剣を置いていくことに、心を痛めぬ剣士が居ようか?

──居るならば、それはお前達のごとき似非剣士だけだ。

彼らがこれを置いていったのは、われらが贈り物を受けたから、不要になったから、ではないぞ。

命を捨ててまで取り戻さねばならぬもののために、自分の半身をも置いていったのだ」

妖々とつむがれる言葉は、高く、あるいは低く迷宮に木霊した。

<貴婦人>たちは呆然とそれを耳にした。

桁違いの実力と経験を持つ師の教えに聞き入る未熟な生徒の如く。

「──そして、この剣でお前たちと斬り結ぶか、と問うたな?」

異国の王は、両手の剣を持ち上げた。

それに呼応して、というより、魅入られたように三人がオーディンソードを構える。

「斬り結びはせん……一合たりとも、な」

その瞬間、女ロードたちは若者に飛び掛った。

刃を交える金属音は──鳴らなかった。

風のような、光のような斬り込みは、全てむなしく空を切った。

 

──クネグナンダ公爵婦人は、自分の胸元を見た。

銀の鎧が裂かれている。着られた感触も、音もなかったのに。

鎧がずれ、鎖帷子が落ち、肌着が下がるのを公爵婦人は呆然と見つめていた。

白い、大きな、熟れきった乳房が血を吹いて滑り落ちていくさまも。

どのような斬り方をしたのか、その奥にある心臓も見事に両断されていることを悟る前に、クネグナンダは絶命した。

 

──アンバー伯爵婦人は、衝撃を受けた次の瞬間に奇妙なものを目にした。

見慣れた肢体が、よろめくように歩いている。

首なしのそれが、鏡でよく見る自分のものだと気付く前に、伯爵婦人は、床の上に転がる生首として息絶えた。

 

──ダイアナ公爵婦人は、目の前の全てが若者の手によって切り裂かれたのを見た。

この男は世界すら切り裂くのか。急速に左右がずれていく視界に婦人は戦慄したが、

それが、自分が額から股間まで一瞬にして両断されているためであった、と知る前に、彼女は床に崩れ落ちた。

 

「一合たりとも切り結ばぬ、と言ったろう。……お前たちの剣は、この剣と刃を合わせる価値を持たぬ」

ラムセス大帝、史上最強の戦士は、斬り捨てた相手を見下ろして冷たく言い放った。

 

「──無礼者に、ふさわしい罰を与えましたぞ、姉上」

ラムセスは振り向きながら最愛の人に声を掛けた。

駆け込むようにして、その首っ玉にかじりついた者がいる。

「うわわっ!?」

リルガミン屈指の剣客を虫けらのように斬り伏せた魔人は、

同一人物とは思えぬ情けない声を上げて反射的に抱きとめた。

その唇に、柔らかく熱いものが重ねられた。──ネフェル王妃の唇だった。

「……か……か……」

「か?」

「か、格好良かったぞえ! さすがわらわのラムセスじゃ、惚れ直したわ!!」

がくがくと肩をゆすぶるのと、首に手を回して抱擁するのとを交互に繰り返しながら、

王妃は夫に熱烈なキスを与え続けた。

不意打ちに目を白黒とさせていたラムセス王も、唇を重ねるたびに、情熱的に応じはじめる。

「そなたの啖呵に胸がすっとしたわ。わらわの言いたいことを、よくぞわらわ以上に申してくれた。

やはり戦士のことは、戦士に、ということじゃな。──それに、やはり、そなたはいい男じゃ」

傍若無人な<貴婦人>には心底腹が立っていたらしい。

ラムセスの言葉と、その後の神業は、たしかに賞賛に値するものだった。

「──照れますね」

王妃の年下の夫は、頬を染めながら頭をかいた。

すっかり気弱な若者の雰囲気に戻っている。

「なんの、夫婦で照れることもあるまい。──妻を何千万回も惚れ直させる夫は、もっと大威張りでよいのじゃ」

姉が、弟の下半身に手を伸ばす。

「ほれ、ここも大威張りでよいのだぞ」

王妃に触れられて、ラムセスの男性器はたちまち硬度を増した。

地面に対して垂直、下腹に張り付くような角度は若者の特権だった。

「おお、逞しいこと──」

ネフェル王妃は、夫の反応に心底嬉しそうな表情になった。

「わらわも、蕩けておるぞえ」

弟の手を取って、自分の秘所に導く。

王妃のそこは、すでにたっぷりと潤っていた。

 

「姉上──」

「来や──」

いきり立ったラムセスはネフェル王妃を抱き寄せた。

細身だが戦車も片腕で止めてみせた古代の王は、楽々と妻の身体を持ち上げた。

立ったままで交わり始める。湿った音と女のあえぎ声が重なった。

「ああ──硬い、大きい、それに熱いぞえ、ラムセス」

王妃はあからさまな表現で夫を褒め称えた。

古代の王は、何度も妻を突き上げ、王妃は嬌声を上げた。

ラムセス王が果てるのは早かったが、それは王妃の絶頂とぴったりとタイミングが合っていた。

「おお、たっぷりと出したこと。わらわの中に収めきれなんだわ」

弟が男根を抜いた際に、秘所からどろりとした精液が流れ落ちるのを見て、姉は艶っぽい笑いを浮かべた。

「姉上が、あまりに良すぎるからです」

ラムセスが妻を褒め称える。

「そんな事を申しても何も出ぬぞ。──出すのはそなたのほうじゃ。まだできるであろう?」

「もちろん──喜んで」

王妃は床に這った。

獣の姿勢で臀を高く上げ、夫に征服されるのを待つ。

三人の<貴婦人>の死体で血臭に満ちているはずの通路は、

王妃がその姿を取っただけで淫靡な匂いでむせ返るようだった。

「──」

主人たちを守るように立っていたスフィンクスが、声にならないうめき声を上げた。

「おお、すっかり忘れておったわ。──お前たちもつがいで楽しむかえ?」

お気に入りの魔獣があげた返事のうなり声を聞いて、ネフェル王妃はやさしく笑った。

「よいぞ。そなたらも、まぐわえ──」

許可の言葉を聞くやいなや、雄のスフィンクスが雌に飛び掛った。

主人夫婦の性交を目の当たりにして、魔獣のつがいも、興奮しきっていた。

まさしく獣の体位で交わり始めた護衛の痴態に、主人たちも情欲を新たにした。

「ラムセスや、わらわたちもあのように──」

「心得ました」

迷宮に、男女雄雌四体の嬌声が満ちた。

 

 

 

淫蕩な音が闇を充たしていく。

古代の王と王妃の交わりは、ある時は緩やかにある時は激しく、大海がうねるように続いた。

傍らの魔獣のつがいも同じように交わり続けている。

空気そのものが媚薬に変わったような香気の中、王妃がのけぞりながら嬌声を上げた。

「ああ、よい……よいぞ、ラムセス。そなたは、どうじゃ?」

「私も……です。姉上」

「そうかえ。──ならば、もっとわらわを愉しむがいい。そなたの喜びは、わらわの喜び──」

「姉上の喜びは、私の喜び」

獣の体位で交わりながら、ネフェル王妃は首を捻じ曲げ、

背後から覆いかぶさるようにして自分を貫いている夫と口付けを交わした。

スフィンクスも、同じ体位を取る。自分たちを真似るペットのしぐさに、主人夫妻が笑みを浮かべた。

「んん──。そう言えば、ラムセスや──」

「なんでしょう、姉上?」

「あの二人、勝てるかの──?」

「……さて、正直、難しいところですな」

力強く腰を動かしながら、大帝は悲観的な答えを返した。

王妃の眉が少し曇る。

偽司教と偽女盗賊として、ともに迷宮を歩いた短い時間、彼らはまちがいなく夫妻の<仲間>だった。

「──あの<バラの貴婦人>とやら、けしからん売女どもじゃが、なかなかの使い手。

あの二人の好漢があたら命を捨てるのは惜しい。──と言って、わらわたちがこれ以上手を貸すわけにも行かぬ」

「然り。人は、己のけじめは己の手で着けなければなりません」

「聞いても、せん無いことだが、そなたの見るところ、勝ち目はどれくらいじゃ?」

「さて。──戦士の勝負は、強いものが勝ちます」

生前、もっとも無慈悲な征服者と呼ばれた王は、どこまでも冷徹な戦士だった。

その秋霜のような真実の言葉に、王妃の眉はますます悲しげにひそめられた。

「──ただし、戦士の強さとは、つまるところ覚悟の重さです。

……今のあの二人ならば、私が戦っても百に一つ、いや二つくらいは取られますかな」

王は、唇の端に微笑をのせて言葉を続けた。

王妃の顔がぱっと明るくなる。

「なんじゃ、それを先に言いや! ──そなた相手に<勝ち目がある>戦士など、この世に何人おるかえ?

あの腐れ女どもがそなたに何回挑んだとして、勝ち目は──」

「一度たりともありませんな──たとえ、砂漠の砂粒、全ての数だけ戦っても」

「それでは、勝負は見えておるではないか。──あやつらの勝ちじゃ」

ネフェル王妃は少女のようにはしゃいだ。

ラムセス王は、それをまぶしい物を見るようにして見入った。

──まっとうに生きるものが勝ち、邪まに生きるものが敗れる。

そうしたことを無邪気に喜ぶこの王妃がいなければ、ラムセス王の治世は暗黒時代になっていただろうと言われる。

魔人と呼ばれた冷酷な征服者は、ただ一人姉に対しては絶対服従であり、

そしてその姉は、慈悲と正義感と義侠心にあふれていた。

ラムセス王時代の古代帝国の輝かしい業績のうち、

今なお語り継がれる文化とモラルは、全てネフェル王妃が作ったようなものだ。

しかし、王妃が、何かを思い出したように目を見開いた。

「しまった──」

「いかがされました?」

「たしか、<貴婦人>とやらは六人と言っておったな。──今そなたが斃したのは、三人」

「残るは三人。──二対三ではなかなか厳しいですな」

「むむ。一人分だけ、加勢に行こうぞ」

王妃的にはどうしても雷電たちを勝たせたいらしい。

ラムセス王は苦笑した。

なぜ姉が、そこまで見ず知らずの冒険者風情に加担するのか、ラムセス大帝はこの場に来る前に聞いている。

単に正義感や、古い友人の敵の邪魔をする、という理由だけでは王妃の情熱は説明が付かなかったからだ。

「──女の浪漫じゃ」

問われて、ネフェル王妃は簡潔この上ない言葉で答えた。

「女の、浪漫……?」

「好きな女を救いに、男が危険を顧みずに戦いに赴く。女子の本懐、これに如くものはない。手助けもしたくなるものじゃ」

「はぁ……そ、そういうものですか」

多少辟易しながら、ラムセス王はしかし異論を唱えることはなかった。

しかし、今にも加勢に駆けつけたそうな王妃に対しては、静かにその唇をふさぐことでその動きを抑えた。

「──ご心配をなさらずに。今、三人目の戦士が到着したようです」

「三人目?」

不意にスフィンクスが立ち上がり、左右に分かれた。うなり声を上げて通路の奥を睨みつける。

「……ここ、通ってもいいですか? あっちに行かなきゃならない用があるんです」

通路の向こうから現れた少年は、魔獣の視線を受けてもいささかも動じずに問いかけた。

 

「よかろう」

ラムセス大帝は頷いた。

ネフェル王妃を抱きしめ、背後から貫いている淫蕩このうえない体勢だ。

だが、東西の美女代表の片割れが半裸で性交している情景に立ち会いながら、少年はそれに目を奪われることはなかった。

主人の言葉に反応して、すっと左右に分かれたスフィンクスを一瞥し、夫妻に軽く頭を下げた。

「ありがとうございます」

「む。──良き覚悟じゃ。先ほどの二人に勝るとも劣らぬ」

少年が自分の美貌にまったく心動かされなかったことを、ネフェル王妃はむしろ喜んでいた。

「この先に何が──誰がいるか知っておろうな?」

「はい。──僕が一度裏切ってしまった、大事な人です」

「そうか、──再び裏切ることはあるかや?」

「いいえ、決して」

「ならば、行くがよい。三人目の戦士の座、任すに足る」

ネフェル王妃は満足げに言い、王がそれを受けて頷く。

「そなたはすでに十分な武器を持っているようだな。ならば我が与えるは、言葉一つ。

戦士ならば、勝つために二つの物以外の全てを捨てる覚悟を持て。

捨ててはならぬのは、誇りと守るべきもの──それ以外はいつ何時でも捨ててよいものと知れ」

「ご忠告、ありがとうございます」

アリソンは頭を下げた。

 

──砦の扉をくぐって消え去るその姿を見送ったラムセス王が、感嘆の呟きをもらす。

「今の世は、面白いものですな。我らの時代には一人もいなかった腐りきった騎士がいると思えば、

あれほどの戦士たちが、同じ場所に集うこともある」

「ほほほ。惚れたかえ、ラムセスや。

そなたは魔品に執着することはないが、良き戦士を集めるのに躍起になったものじゃ」

「然り。あの三人──同じ時代に生まれていれば、私の戦士に欲しかった」

「手に入れておれば、もう三十ほど国が取れたかの?

だが、諦めよ。──あやつらが命を捧げる相手はそなたではないぞえ」

「──ですな。しかし、惜しい……」

ネフェル王妃は、手に入らぬおもちゃに未練気な弟を優しくたしなめるように口付けを与えた。

「さて、わらわたちは帰るとしようかえ? そろそろ棺の中が恋しくなったわ」

「結果をご覧にならないので?」

「──三対三になったのであろ? 後は、見ずともわかるわ。

──わらわは眠くなった。ラムセスや、添い寝をくれるかの?」

「喜んで」

闇が溶け始めた。

美しい夫婦と、一対の魔獣の姿が消えていく。

ピラミッドの主が帰還した後は、僅かに淫蕩な残り香だけが残った。

 

「ふふ、襲撃者が、貴女たちのナイトだといいわね」

マーラ伯爵婦人がオーレリアスの背後から優しく声をかけた。

半裸の女エルフの首筋に優美な唇を当て音を立ててキスしたが、オーレリアスは快楽ではなく苦痛の表情を浮かべる。

獣の姿勢で床に這う女エルフは、背後から肛門を犯されていた。

大きめのディルドーを片手で動かしながら、伯爵婦人が優しく微笑んだ。

おもちゃを──奴隷をいたぶるときの蔑みの表情だ。

「襲撃者は、侍と戦士だそうよ。ひょっとしたら、貴女のお仲間が生き返ったのかも」

苦痛にゆがんでいたオーレリアスの表情に驚きが走る。

それが期待と喜びの表情に変わる寸前に、伯爵婦人はディルドーを強く動かして新たな苦痛を与えた。

「あら、だめよ、こんな程度で音を上げちゃ。──トレボー陛下の<サックス>はもっと大きくて硬いのよ。

あなたは華奢だから、それを受け入れるような身体になるまで、いっぱい嬲ってあげる。

ふふ、襲撃者が貴女の恋人だったらいいわね。こんな浅ましい姿を見させることができるもの」

慈母のような表情で女ロードはささやいた。

彼女を知る男が、みな心引かれる優しさは、女に対して向けられることはない。

否、その優しさを与えた夫や過去の情夫たちに対しても、必要ならば裏切りと死を与える──この笑顔で。

「マーラ、遊びすぎないでね。──そろそろ来るわ」

カディジャール婦人が戸口に視線を注ぎながら釘を刺した。

こちらも、女忍者をディルドーで犯しながらの言葉だが、マーラほど執拗ではない。

愉しみは襲撃者を撃退してからゆっくりと、という考えだ。

アイリアンが、強い光の溜まった瞳で睨んでくるのを涼しい顔で無視しながら、<バラの貴婦人>のリーダーは立ち上がった。

他の二人もそれに習い、剣の柄に手をかけた。

 

青銅の扉が、ゆっくりと押し広げられる。

侍と戦士の二人組が入ってきた。

「雷電──!」

「ジー君!!」

女忍者と女魔術師が驚きの声を上げる。

死んだと思っていた──実際一度は死んでいたが──恋人たちが、本当に来てくれた。自分たちのために。

驚愕は歓喜に代わり、それに羞恥が混じった。

<貴婦人>たちにいいようになぶられていた自分たちの姿に気がついたからだ。

「あらあ。そんなに恥ずかしがらずに、貴女のいい人に、よくお顔と身体を見せてあげたらどう?

──久々の再会だもの、私たちにおもちゃにされている姿でもきっと喜んでくれるんじゃないかしら?」

マーラ伯爵婦人がオーレリアスの髪をつかんでぐいと突き出す。

半裸の女エルフは羞恥と屈辱と慙愧の念でパニック状態になる。

「──彼女を放せ」

大男が、静かにことばを放つ。

侍のほうはともかく、単純な戦士は挑発に乗って突っ込んでくる、と思ったマーラ婦人は予想が外れて眉根を寄せた。

「あら、思ったよりも冷静ね」

カディジャール婦人が雷電から目を離さずに言った。

「トレボーの連れてきた魔物たち相手に戦い尽くめだったからな。

ジンスも俺も、この数日でずいぶんと場数を踏んだ。もう、そんな手には引っかからん」

「そのようね。地上に戻れば、20…いいえ25レベルにはなっているかしら。

私たちにとっても手ごわい相手になっていたでしょうね。

でも、残念。今のあなたたちは、その貴重な経験がまだ体に馴染んでいないわ。

精神力はともかく、戦闘力はこの間私たちと戦ったときと同じ、マスターレベルに成り立てのひよっこさん。

つまり、──今回も勝ち目はなし、よ」

婦人はにんまりと笑った。

彼女が言ったとおり、もし彼らが引き返し、<冒険者の宿>で休息を取りながら

その戦闘経験を自らの魂に摺込む儀式を行った後ならば、

あるいは<バラの貴婦人>をも瞠目させる達人に生まれ変わっていたかもしれない。

だが、今の二人は、レベル的には<貴婦人>にやすやすと敗れ去った状態と変わりない。

「……果たしてそうかな? 戦いは、何が起こるかわからぬもの。この数日でつくづくそれを思い知った」

雷電は、手に提げていた刀をゆっくりの鯉口をゆっくりと切った。

「その刀──村正!?」

カディジャール婦人が驚きの声を上げた。

「……なるほど、強気の理由はそれね。どこで拾ったかは知らないけど、

そんなものを手に入れたくらいで私たちに勝てると思っているのなら、ずいぶんと舐められたものだこと──」

「この刀を手に入れたから勝てる、とは思ってはおらんさ」

「まあ、そういうことにしておいてあげましょう。そちらの戦士の剣も、業物と見たわ」

ジンスが背負った大剣の、肩口から見える柄頭と雰囲気だけで推測したカディジャール婦人は、すばやく計算した。

「……確かに一騎討ちなら、千にひとつ、いいえ、百に一つの勝ち目ができたかもしれないわね。

戦いは、常に確実に勝つことが大事。──こちらは三人で戦わせてもらうわよ。

私はこの侍を、マーラはあの戦士を。ワンダは、隙を見てどちらかに加勢しなさい」

三対二ならば、わずかに生まれている逆転の可能性さえもなくなる。

──だが、それは誇り高い騎士道に生きる者の言葉か。

他の二人がにやりと笑った。

美女が、その美しさを崩さずにここまで卑しく笑えるものだと知れば、悪魔とて戦慄するだろう。

「──恥を知りなさい! <バラの貴婦人>」

ミッチェルの声は、かつて彼女たちを遠い目標に仰ぎ見ていた女君主見習いの悲痛な叫びだった。

「何とでも言いなさい。……一人だけナイトが誰も来てくれないお姫様」

ワンダ公爵夫人が嘲笑した。

──これが女騎士の最高位にあると言われた人間の言葉か。

あらゆる希望を失い、今、最後に信じて心の支えとしている騎士道すらみじめに踏みにじられた少女が、

迷宮に連れ去られてからはじめて涙を流した。

ミッチェルの頬を伝う涙を見て、ワンダは笑みを濃くした。

「──待て。その子のナイトなら、ここにちゃんといる!」

入口から声が上がった。

ミッチェルが眼をいっぱいに見開き、ワンダが愕然と振り向いた。

「……もっとも僕は、まだ騎士見習いの身分だけどね。

ワンダ叔母さん──いいや、背徳者ワンダ、貴女の相手はこの僕だ!」

戸口を潜り抜けながら、アリソンは昂然と言い放った。

 

傷だらけの黄金の鎧を着込んだ少年をちらりと見やって雷電がわずかに口元を緩めた。

味方が増えたことではなく、少年の示した勇気を喜ぶ先輩者の笑み。

戦士は、見ず知らずの戦士に共感できる人種だ。

「これで、三対三。異存はあるまいな」

「……」

「もうひとつ、いや二つだけ言わせて貰おう。やはり、戦いは何が起こるかわからぬものだったな。それと──」

「それと──?」

「何が起こっても、この戦いは俺たちが、勝つ」

矛盾する二つの言葉は、<貴婦人>たちがとっさに言い返せないほどの重さを含んでいた。

 

「──そう言えば……」

棺の中で、姉が弟に問うた。

「あの侍に渡した刀、あれは──<あれ>、かえ?」

「もちろん。その名を冠した刀は幾振りか持っておりましたが、

あの男にふさわしいのは、やはり<あれ>でありましょう」

「わらわも、そう思う」

「新刀よし。外道よし。されど古刀に如く物はありますまい」

「さすが、目利きじゃの」

 

カディジャール婦人は雷電と対峙した。

慎重に間合いを取りながら、相手を見据える美女の口元に冷たい微笑が浮かんだ。

「その刀、<村正刀>ではないようね。<裏村正>でもない」

「左様。茎(なかご)には、ただ、村正とだけ刻んである」

「ムラマサ・ブレード……。これは、また骨董品を」

婦人の微笑は嘲笑を含んでいた。

妖刀村正には、実はいくつかの種類がある。

<災厄の中心>の迷宮で強力な魔物を屠るために鍛えられた<村正刀>──ムラマサ・カタナは、

オーディンソードと同じく<必殺>の能力を持ち、巨大な悪魔すらも一撃で斬り殺すことが可能だ。

また最強最悪の妖刀と呼ばれる<裏村正>は、持ち主の生命をすすって攻撃力を増し、その力は文字通り桁外れだ。

だが──。

「初代<村正>。遠い昔の<ワードナの迷宮>ならいざしらず、今の世で通じると思っているの?」

この百年。迷宮での戦闘は大きく変わった。

新たに生まれた迷宮は強力な魔物を生み出し、それに対抗するため、魔法加工を含めた防具と体術は著しい発達を遂げた。

かつての戦いならば十分に致命傷を与えたろう攻撃が、魔物にも冒険者にも中規模のダメージしか与えられないことも多くなった。

そんな中で武器も大きな変化を遂げた。

単純な切れ味──攻撃力ではなく、<必殺>の魔力が込められた武器が重要になってきたのだ。

火竜の数倍もの体力を持つエアジャイアントやマイティオークも、<必殺>の能力を持つ剣ならば一撃で斃すことが可能だ。

オーディンソードやムラマサ・カタナはそうした意図のもとで鍛え上げられた剣である。

純銀の魔法鎧で完全武装した女ロードの領袖は、自分の体力にも自信があった。

──<必殺>の能力さえなければ、何も怖いものはない。<村正>も、この侍も。

女ロードの嘲笑に、雷電は答えなかった。

村正を抜いて青眼に構える。青眼──もっとも基本的な構えだ。

「ほほ、構えまで古臭い」

「そちらは、随分と新しい剣技らしいな」

婦人の構えたオーディンソードの切っ先は、中段とも下段ともつかぬ位置に向けられていた。

しかも、身体の中心線がずれ、バランスが捻じ曲がった姿勢だ。──雷電が見たこともない構え。

「剣技は日々進歩する。<必殺>の効果を持つ剣を持てば、重要なのは力でも速さでもない。──多段攻撃よ」

「なるほど。──しかしそれが進歩と呼べるかな?」

婦人の姿勢は、見るものが無意識に不快感を抱くものだった。

美しいものは、バランスが狂えば逆に醜く見える。

「──ほざきなさい!」

カディジャール婦人は地を蹴った。

雷電が応じる。

先に仕掛けたのは女ロードだったが、斬撃は侍のほうが速かった。

「──後の先」

剣理の基本中の基本だ。

だが、婦人は余裕を崩さなかった。

自分の体力と体術、それに鎧の防御力を考えれば、村正の連撃でさえ耐えられる。

しかし、こちらが雷電を斃すのには通常の攻撃で十分おつりが来る上に、

多段攻撃のうち一回でも<必殺>の効果が現れれば、そこで戦いは終わりだ。

──その確信にひびが入ったのは次の瞬間だった。

──どん!

みぞおちに、重い衝撃が走った。

切りかかる勢いを完全に殺され、カディジャール婦人の足が止まる。

鎧越しに衝撃が伝わる。多少内臓を痛めたが、これは計算のうちだ。

刹那の間を空けて、袈裟懸けがくる。盾で受け流し、体をかわして鎧の厚い肩で受ける。

これでダメージは最小限だ。残念ね、お侍さん。

──どん!!

一撃目と同じような衝撃。予想外だ。なぜ初撃の同様の威力がある──!?

「……がっ!?」

熱いものが口からこぼれ落ちる。血反吐だった。

「なっ──」

──どん!!! どん!!!

左右に籠手をくらって、オーディンソードを取り落としてしまう。手が、手が動かない。

「──防御が、受けが効かない!?」

そんな、私の体術は、剣技の粋を集めた最新最高の技術のはずだ。

どん!! どん!!!

両足の骨と筋肉が鎧の下で断ち切られるのを婦人は悟った。

やめてやめて──。こんな斬撃をくらい続けたら──死んでしまう!!

「――昔、師に教わった。技に溺れる剣のことを、小細工と呼ぶ、と。

両手両足が動かぬくらいで闘志を失う剣士には、ふさわしい技ではあるがな」

真の技とは、力とともに、修練によってのみ、自然に身に付くものだった。

けっして、剣の魔力に合わせて考え付くものではない。

数十年間、ひたすらに打ち込みを続けた男は、流れるような動作で青眼に構え直した。

──そんな男にこそ、この古刀はふさわしい。

単純な切れ味ならば、今なおオーディンソードやムラマサ・カタナの追従を許さぬ妖刀村正は──。

まっすぐに振り下ろした一撃は、あさましく逃げようとするカディジャール婦人を、鎧ごと真っ二つにした。

 

「ところで──」

優しい闇の中で、弟が姉に問うた。

「姉上が渡したあの剣は……」

「ああ、<あれ>じゃな」

「やはり──」

姉のやらかした悪戯に頭を抱えているような声に、王妃は悪びれずに強弁した。

「なんじゃ。別に盗んだわけではないぞ。だいたいアラビクも、マルグダも、ベイキすらおらぬリルガミンに、

あんな物騒なものを置いていては危険じゃ。だから、わらわがしばらく預かっておこうと思っただけじゃ。

現に役に立ったではないか。わらわのすることに間違いはない」

市営博物館から魔剣を強奪したのは王妃お気に入りのペットであったらしい。

「──まあ、その通りですな」

幼い頃から、ネフェル王妃のいたずらで被害をこうむり続けた男はため息混じりに呟いた。

もっとも姉は、その後で弟にたっぷりと埋め合わせをする女性だったから、被害を受けるのも彼の愉しみではあったが。

「わらわは、剣のことは良く知らぬのじゃが、──要するに、あの手の物は力任せに斬れればよいのであろ?

──ならば、あの大男にふさわしいと思ったのでな」

無邪気に笑いながら、この世でもっともシンプルでもっとも枢要な剣理を言い当てた姉に、弟は絶句した。

「……つくづく、かないませんな、姉上には」

「当たり前じゃ、女房が亭主より賢くなくて、どうするのじゃえ?」

簡単に言い切った妻が、棺の中で身を寄せてきた気配にラムセス王はにっこりと笑った。

 

「──その剣……!」

マーラ伯爵婦人は、ジンスが抜き放った大剣を見て眼を見開いた。

「<ハースニール>!!」

<ダイヤモンドの騎士>の装備のひとつを目の前にして、<バラの貴婦人>が戦慄する。

オーディンソードと同じ<必殺>の能力を備え、<ロルト>の魔力を無限に秘めた魔剣は警戒するに値する武器だ。

「へえ。こいつ、そんな名前なんだ」

ジンスが、初めて聞いた、と言うように復唱した。

伯爵婦人の眉が上がる。

「何かいわくがありそうな剣だけど、ま、俺にわかるのは、こいつがいい剣だってことくらいだ」

大上段に構えながら言ったジンスの言葉に、伯爵婦人はあきれた。

子供すらその伝説を知る魔剣を知らぬとは、この大男は本物の馬鹿のようだった。

(所詮は戦士──下位職に過ぎないわね)

上位職の中でも忍者に次ぐ能力を必要とするロードから見れば、ジンスのような戦士は侮蔑の対象だった。

(この男、<ハースニール>でロルトの術を使えることすら知るまい)

ならば、<必殺>の一撃だけを警戒すればいい。

この馬鹿男の剣筋など、容易に予測できる。

大上段から振り下ろす一撃──それだけだ。

そして、伯爵婦人の予測どおりにジンスの斬撃は来た。

「甘い──」

さすがにかわしきれはしない剣速だ。──マーラは盾の正面でそれを受けた。

受け止め、流し、もう片手のオーディンソードで相手の首をはねる。

これから先、数秒のイメージ、必勝パターンはすでに脳裏に描き出している。

思い通りの戦闘展開に、マーラは唇の端を吊り上げた。

ガツン。

予測の中にない物音がした。

「──え?」

伯爵婦人は自分の盾が真っ二つに切り裂かれていく様を頭上に見た。

<必殺>の効果──ではない。

魔剣の切れ味と、タイミングと、あとは単純な力が生み出す芸当だった。

「な、な……」

愕然としながら、半ば無意識に右腕を動かす。

間に合った。盾が分離仕切る前に、オーディンソードをその下の空間に滑り込ませることに成功した。

横に構えた剣で、上段からの攻撃を受ける。

まずは聖剣で受け止め、押し戻しと受け流しを行いながら、バックステップで間合いを取り直す。

──瞬時に描き直した戦闘イメージが、再度破られた。

「嘘、嘘、嘘──」

マーラは、自分のオーディンソードが小枝のようにへし折れていくのを呆然と見つめた。

聖剣を苦もなく切り裂いたハースニールにとって、頭蓋骨はもっと柔らかい斬撃対象だった。

頭頂から股間までを一気に斬り下げられて、伯爵婦人は絶命した。

 

「──どうやって生き返ったのか、教えてくれるかしら? 可愛いアリソン」

ワンダ公爵婦人は、にこやかに微笑みながら、かつて我が子のように可愛がった少年に問いかけた。

アリソンは答えなかったが、指輪をつけた右手を一振りした。

「指輪?──ああ、<命の指輪>か、<回復の指輪>ね。うっかりしていたわ。

あなたの実家は、リルガミン屈指の魔品蒐集家ですもの。その次期当主が自動治癒の魔品を身に付けていても不思議ではない」

ワンダは、改めてアリソンの装備に目をやった。

「わお、<ゴールドプレート+5>。──私の剣の<必殺>の効果が打ち消されるわね。

でもあなたの剣も<必殺>の魔力のない<カシナートの剣>。

──さすがのご実家も魔剣はコレクション不足だったみたいね」

「……この剣に、見覚えがありませんか」

「──?」

小首をかしげた美貌に、アリソンの視線が堅く突き刺さる。

「オーディンソードの一振りくらい、宝物庫を探ればあった。

だが、剣だけはこれを使うべきだと思って持ってきた」

観賞用に飾られていたにしては、使い込まれ、傷ついている剣に気付き、ワンダが、あ、と声を漏らした。

「それは……」

「ジークフリード叔父さんの愛剣だ。これで、貴女を、斬る」

「──おもしろいわ。しばらく見ないうちにずいぶんと格好良くなったわよ、アリソン。

ジークの代わりに、ほんとうに私の夫になってもらいたいくらい。ね、私の再婚相手にならない?」

「問答無用!」

嘆かわしいというも愚か、と言わんばかりにアリソンが飛び掛る。

斬り込みの意外な鋭さに、公爵婦人は眉をしかめたが、そこは実力の差でたちまち盛り返した。

つばぜり合い。至近距離でワンダはアリソンを見つめ、アリソンはワンダを睨んだ。

「うふふ、だいぶ腕力もついたようね。

さすが男の子、頼もしいわ。──ね、キスしてあげましょうか?」

返答は──突き放してからの荒削りな攻撃だった。容易く受け流す。

「うん、なかなかいい一撃よ。──叔母さん、濡れてきちゃった。

あなたさえ良ければ、本当に戦いをやめてもいいわよ。

あなたはもう、十分に騎士の資格があるわ。

私の夫になって、トレボー陛下の騎士におなりなさいな──」

 

アリソンは誘惑には乗らず、斬撃を繰り返した。

ワンダはため息をついた。

「そう、そんなにあの娘のことが気になるの。──仕方ないわね、じゃあ、お死になさい!」

本気になった<バラの貴婦人>は、たやすく未熟な少年を追い詰めた。

オーディンソードが、カシナートの剣を上から押さえ込む。

中段で絡み合った二本は、どんどんと押し切られて切っ先が床に着かんばかりに下げられた。

「ほらほら、ジークの形見の剣もこんなものね。──言っておくけど、もう降伏は許さないわよ。

前は優柔不断で命を失ったけど、今回は正しい選択を選ばなかったのが失敗だったわね」

ワンダはこれ以上ないくらいに優しい微笑みを浮かべた。

──その瞬間、アリソンは全力をこめて握っていたカシナートの剣を手放した。

尊敬する叔父の形見の剣を。

この剣で敵をとると宣言した剣を。

からん、と音を立てて長剣が床に転がった瞬間、ワンダはアリソンの次の行動を見切っていた。

剣を投げ捨てた瞬間、腰の短剣を抜き放ち、自分に切りつけてくる。

(お馬鹿さん──そんな飾り物でどうしようと言うの?)

その短剣が特別な魔品でないことは戦闘前に見切っていた。

だから、自分の首筋に向かうその刃を、わずかに身をそらせることでかわす行動にはいささかの怯えもなかった。

──それが、正確にワンダの頚動脈を断ち切るまでは。

「──え?」

信じられないという表情で、短剣を、それを掴むアリソンの手を眺めたワンダの目が見開かれる。

「──自動回復の能力を持つのは、<命の指輪>や<回復の指輪>だけじゃない」

持ち主に、回復能力と同時に<必殺>の効果も与える魔品──<トロルの指輪>を輝かせながらアリソンは言った。

「ある人が教えてくれた。誇りと守るべきもの──それ以外はいつ何時でも捨ててよいものと知れ、と」

恨みをはらす、という思いを捨てれば、叔父の形見さえも勝利のために捨ててよいものだった。

「……やるわね。でも、その指輪が…あっても、あの状態で、よく剣を捨てる…決断を……」

致命傷から血を吹き上げながら、ワンダはアリソンを見つめた。

その美貌は、おどろくほどに穏やかだった。

逃げ回ることに疲れた罪人が、ひそかに待ち焦がれた断罪を受けるときのように。

「──次に生まれてくるときは、決断を早めにする男になれ。……そう教えてくれた女(ひと)もいた……」

アリソンは、視線をそらしながら呟いた。

自分がアリソンを殺すときに言ったことばを聞き、ワンダは蒼白な美貌に微笑を浮かべた。

かつて少年が、憧れとときめきを抱いた微笑みを。

「──そう…か。いろんなものを……汚してしまったけど、アリソンを立派な騎士にすること…は、できたみたいね。

それだけは、あの世で……ジークに言い訳が立つわ」

ぐらりとよろめきながら、公爵婦人は微笑を笑顔に変えた。

「…叔母さん……」

「ふふ、浮気も裏切りもやるほうは、もうこりごり。やられる側のほうが、よっぽど気が楽だわ。

やっぱり……私はこういうの、性に合ってなかったみたい。

──ジークに謝りに行くわ。……さよなら、ごめんね」

がっくりと倒れこむワンダの死体をアリソンは両手で抱きとめた。

<貴婦人>のなかで唯一、己の罪に苦しんでいた女は、六人の中で唯一、死に顔が穏やかで美しい女でもあった。

 

「雷電……」

「ジー君!!」

解放された女忍者と、女エルフは対照的で同一の反応を示した。

無言で見つめるアイリアンと、駆け寄って抱きつくオーレリアスは、

誰が見ても心中に同じ思いを抱いているとわかる。

アイリアンが意を決して、雷電に近寄り、唇を重ねるまでの間に、

オーレリアスは6ダースのキスをジンスに与えてはいたが。

「いろいろ、あったな。──帰ろう。リルガミンに」

ひと段落が着いた後で雷電が言うと、皆は頷いたが、オーレリアスだけは異を唱えた。

「待って。──あっちはもう少しかかるみたい……」

そっと向ける視線の向こうに、飛び入りの加勢とその恋人の修羅場を認めて、四人は思わず物陰に隠れて息を殺した。

 

「……」

「……」

ものすごく重苦しい沈黙に、アリソンは押しつぶされそうだった。

今まで決して友好的でなかった元婚約者との歳月とか、ワンダの誘惑に一度は乗ってしまったこととか、

助けに来るのがめちゃくちゃ遅れたこととか、色々なことが頭の中に渦巻いて、言葉が出てこない。

<バラの貴婦人>を倒した勇者は、もうアリソンの中の何処にも存在していなかった。

(こういうときは、ごめん、が良いのかな、それとも──)

あの王様と王妃様や、ワンダ叔母さんに聞いてみたいところだが、そんな助言は誰からももらえなかった。

「……」

「……」

重さをさらに増した沈黙を破ったのは、ミッチェルからだった。

「その指輪──貸して」

「え?」

「<トロルの指輪>。回復の力があるんでしょう? 私、お尻が痛いの」

ありあわせの布で覆っているが、下半身裸のミッチェルが、

トレボーや貴婦人たちにいたぶられていたことに思い当たり、アリソンはうろたえた。

指輪をあわてて外す。

「ああ、き、気がつかなかった。大丈夫!?」

「大丈夫じゃないから、指輪を貸してって言ってるんじゃないの!!」

「ご、ごめん──」

動転しきった少年は、先ほどまであれほど声にするのに苦労した言葉が、

なんのためらいもなく言えたことに気がつかない。

少女はため息をついた。

それは傷が癒され始めたためだけではなさそうだった。

「……で、あなたが私のナイトなの?」

「い、いや、そういうわけでも……」

なんであの時はあんなセリフがすっと言えたんだろう、自分でも疑問だ。

「──最低。自分の言葉に責任くらい持ちなさいよ!」

少女はそっぽを向いた。

別人のように大人びているその美貌に、

自分が知っているお転婆娘のしぐさをみつけて、なぜかアリソンは心からほっとした。

「私、トレボー王の花嫁になれるところだったんだからね。その辺も責任を感じなさい」

「ああ、──な、なりたかったの?」

 

(馬鹿──!)

女忍者が声を上げようとして侍の手で口をふさがれた。

(ジ、ジー君より馬鹿な男の子、はじめて見た)

女エルフはふき出しそうになって、これも戦士に口をふさがれた。

 

「──あなたって、本当に頭悪いのね!」

そこから先、侯爵令嬢が浴びせた罵詈雑言は、

アリソンはおろか、聞き耳を立てている四人にとっても聞くに堪えないものだった。

ひとしきり元婚約者を罵倒し終えた少女が、大きく肩で息をして黙り込んだ頃には、

アリソンは塩を掛けられたジャイアントスラッグのように身を縮めていた。

「ごめん」

何に対して謝っているのか、全然わからなかったが、とにかく少年は謝った。

この返事でまた同じくらい罵倒されそうな予感がしたが──。

「……いいわ。許してあげる。ずいぶん遅れたけど、あなたは来てくれたから──」

意外な返事が戻ってきた。

「……え?」

「……そうね。謝罪の証にこの指輪をもらっておくわ。それで許してあげるわよ」

「あ、ああ、うん」

ミッチェルの突然の変心に戸惑いながら、アリソンは頷いた。

少女は、そっぽを向いた。──何事かを真剣に考えているようだった。

「あ、あの──」

眉間にしわを寄せ、ただならぬ様子の少女に、少年は声を掛けようとする。

 

(──この阿呆!)

(──そこは黙って待っているとこだろ!)

雷電とジンスが怒鳴りつけようとして、アイリアンとオーレリアスに後ろから殴りつけられた。

 

ミッチェルは、長いこと考え込んでいたが、やがて決心をつけたようにため息をついた。

振り返ってアリソンを見つめる。

少年は、自分の心臓がどきんと脈打つのを感じた。

元婚約者は、今まで見た中で一番美しい女に成長していた。

「さっきの話だけど、あなた、本気で私のナイトになるつもりだったの?」

「え、ああ、──うん」

「そう。じゃ、誓いなさい。私に生涯の忠誠を捧げるって」

おおよそ傲慢極まりない女王のことばだった。

たしかにミッチェルならトレボーの花嫁になれたかもしれない。

ものすごく理不尽なことだが、アリソンは頷いた。

ワンダの誘惑に乗りかけ、一度は見捨ててしまった弱みがある。

(一生、ミッチェルの騎士か)

それは奴隷みたいなものかもしれないな、と心の中で呟く。

見習いとはいえ、騎士道に背いた男にはふさわしい罪の償い方かもしれない。

「うん。僕の一生を、ミッチェルに捧げる──捧げると誓います」

「……そう。じゃ、私も誓うわ。──私の生涯をアリソンに捧げます」

「──え?」

ミッチェルはにっこりと笑った。トレボーに、いや他のどんな男にも渡したくない笑顔。

「……お尻はさんざん犯されたけど、私の処女は、まだ無事。

<バラの貴婦人>の口で犯されたけど、あなたも、まだ童貞。

お互いずいぶん傷ついたけど、純潔の誓いはこれからでも守れる──そうじゃないかしら?」

いつの間にか<トロルの指輪>を左手の薬指にはめていた少女は、

頬を染めて元──いや今、婚約が復活したばかりの相手を見返した。

「ああ、──うん」

花嫁候補に比べて、花婿候補はどこまでも間抜けな声をあげたが、

少女が家紋入りの指輪を外して、自分の左手の薬指につけてくれるのを見て、俄然情熱を燃やした。

「み、ミッチェル!」

抱きつく婚約者にファーストキスを許した少女は、くすりと笑ってその身体を押し戻した。

「──これ以上は、まだ駄目よ、アリソン」

「うん。リルガミンに帰って、あの街を復興させて、結婚式を挙げてから──」

「それ、私がおばあさんになる前にちゃんと片付けてね」

夢見がちな少年と現実的な少女はまさにお似合いだった。

「──あ、それから、アリソン」

「何?」

「あなた、これから一生、私以外の女とは、口も聞いたら駄目よ」

「え?」

「私も、あなた以外の男とはもう一生口も聞かないわ……何か文句あるの?」

「い、いや、ない」

「そう。覚えておきなさいね。私、すごく嫉妬深いから。純潔の誓いは絶対破っては駄目よ。

──この先、私以外の女からちやほやされようとは夢にも思わないことね」

「……はい」

アリソンは絶望の声をあげた。

なんとなく、この先の一生が見えたように思えた。

「──がっかりすることはないわよ。あなたは私が一生ちやほやしてあげるから。それに──」

「それに?」

「私たちの娘となら、もちろん口を聞いてもいいわよ。

私、二十人はあなたの子供を産むつもりだから、その半分、

十人くらいは私以外の女と口を聞いていい計算になるわね。

十人よりもっと多く娘がほしかったら、──頑張りなさい、私の未来の旦那様」

衝撃的で甘美な未来図を語る少女に、少年はくらくらとなった。

だが、寄り添って頬にキスをする婚約者に、アリソンは、

(この先の一生は悪くないものかも知れない)

と思い直すことにした。

 

 

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