<イビルアイズ 〜 闇色の女妖術師>

 

その<居室>は、闇の君主たちの住まう部屋のような荘厳さはなかったが、かなり広い作りになっている。

玉座などの代わりに中央にある小部屋──トラップ部屋だ!──があるのが部屋の主らしいアクセントだった。

少年は、その部屋の前まで来て、ぴたりと立ち止まった。

身に着けた装束は軽装──盗賊のものだ。

しかし、危険な迷宮のこんな奥深くまで一人でやってくる盗賊がいるのか。

この少年は例外らしい。

隠密を旨とする職業のくせに、部屋の奥に向かって大きな声を上げたからだ。

「来たよ!」

しばらくロミルワの魔法光の下で耳を済ませる。

迷宮の奥からは何の音も聞こえないが、少年は何かを聞きつけたらしい。

「いつまで待ってても、僕はここには入らないからね! そっちから出てきなよ!」

小部屋──あらゆる保護呪文の効果がかき消され、かつしばらくは唱え直せない魔法罠の部屋。

用心深いこの部屋の主は、訪問者がそこに入って魔法を解かない限り姿を現すことはない。

この少年──コロンが相手でなければ。

やがて、恨めしげな声が聞こえてきた。

「……せめて、ロミルワだけでも消さぬか?」

「やだね。巻物を使うのがもったいない。──それに君の姿がよく見えなくなるし」

「……我はそれが目的で提案しているのだが?」

「その提案は却下だよ。僕は、君の顔を見たい」

ひとしきり呪詛のことばが続いた。

その呟きの声の主が誰かを知れば、コロン以外の人間は震え上がるか、眉をしかめるかのどちらかだろう。

地下6階のこの部屋の主は、闇の君主たちに比べれば力は劣るが、その分陰湿で陰険だから決して油断ができない。

敵に回せば、ある意味、もっと下層に住まう実力者たちよりも厄介なことは、冒険者たちの共通の認識だった。

しかし、腕組した盗賊少年は気にも留めない様子である。

懐を探って懐中時計を取り出し、わざとらしく覗き込む。

「約束の時間まで、あと30秒。29、28、27……」

やがて、コロンの予想通りに、ため息が聞こえ、大きな足音が近づいてきた。

 

 

どしんどしん、という大きな音は、この部屋の主人の体重が重いからではない。

片足が、義足だからだ。

薄暗がりを切り取ったような色のローブ姿が目の前に現れたとき、コロンは懐中時計から視線を上げてにっこり笑った。

「はい、時間ぴったり! いつもながら正確だね」

人を食ったせりふに、着ているローブと同色の闇色の長い髪を持つ美女

──イビルアイズは激昂しかけたが、何とか自制した。

この部屋の女主人は、その名の通りの<邪眼>で睨み殺さんばかりにコロンを凝視していたが

睨まれたほうの側は、にこにこと笑っているだけだ。

やがて──イビルアイズはため息をついて肩の力を抜いた。

今日も自分の負け。

現在五十七連敗。ちなみに勝ったことは一度たりともない。

「じゃ、取引しましょ。<スカーレットローブ>、ある?」

イビルアイズの様子をまったく無視してコロンは商談を始めた。

<スカーレットローブ>は炎と石化に耐性を持つ魔法のローブだ。

悪の戒律を持つ者以外が着れば呪われてしまうが、その防御力はローブとしては最高級である。

何よりも、魔力をこめて暗く輝く緋色が美しいため、悪の戒律を持つ魔術師、

それも女魔道士に人気だった。

コロンもその需要に応じて買い求めているのか、

イビルアイズが差し出したローブの胸の辺りをよく吟味していた。

「ううん。これじゃきついかなあ。ブレンダさん、おっぱい大きいし。

──ねえ、胸だけもう少し大きなの、ある?」

<マンフレッティーの店>の看板歌姫──迷宮の女子トイレで春を売っているという噂もある──美女の名に、

イビルアイズのこめかみの辺りがひくりと動いた。

もちろんコロンは気にする様子がない。

無言でローブを取り替え、新しいのを差し出す闇の女魔術師に、コロンは、今度はにっこり笑った。

「あ、これならぴったりだ。はい、お代」

 

「……」

金貨の詰まった皮袋を受け取る。

「──二枚多い」

持っただけで重量が分かるのか、イビルアイズは袋に手を突っ込んで釣りを返した。

「あれ、酒場できっちり数えたはずなんだけどなあ」

「貴様は大雑把過ぎる」

にべもなく言い捨てた闇の女魔術師は急に押し黙った。

元気いっぱいに突き出したコロンの手に硬貨を置こうとして、指先が手のひらに触れたからだ。

心臓が破裂するかと思うくらいに高鳴る。

「ん? どうしたの?」

ポケットに金貨を入れたコロンが無邪気に笑う。

「……好み、なのか?」

イビルアイズの声は小さく、コロンの耳を持ってしても聞き取りづらかった。

「え?」

「──貴様は、大きな胸の女が好みなのか、と聞いている」

「ううん。別に」

心の中のありったけの勇気を振りしぼって発した問いと、

ほとんど反射的、と言って良いほど無造作な返事だった。

だが、イビルアイズは安堵の吐息をついた。

「どしたの? ため息なんかついて。……具合、悪いの?」

気がついた瞬間には、コロンの顔は闇の女魔術師のすぐ傍にあった。

「な、なんでもない」

必死で呼吸を整えながらイビルアイズは眼をそらした。

しかし無邪気な追い討ちは彼女の予想以上に容赦なかった。

「あ、おっぱい、これくらいの大きさがいいな」

むにゅ。

ローブ越しに、コロンの手がイビルアイズの胸に触れる。

少年にとっては、深い意味のない、ただのスキンシップ。

だが、女魔術師にとっては──。

 

「──っ!!」

電流でも流れたようにイビルアイズは身をよじった。

「あ、ごめん。痛かったの?」

相手の反応に、少年はびっくりし、慌てて声を掛ける。

彼と同じくらいのリルガミンの街娘相手なら、嬌声をあげてふざけ返してくるところだ。

だが、ずっと年上の女妖術師にはずいぶん違う効果があったようだ。

「……」

コロンが手を離すと、イビルアイズは荒い息を吐いて彼を睨みつけてきた。

「ええと、その……おっぱい、怪我でもしてたの? ――ごめん」

ぺこりと下げる頭を、思いっきり殴りつけたくなる衝動に女妖術師は必死で耐えた。

「……怪我は、していない」

「あ、そうなんだ」

コロンはイビルアイズの顔をまじまじと見た。

なんとなく「続けていい」と判断して手を止めない。

正解だった。

イビルアイズの白い──迷宮の闇の中では灰色にも見える──美貌に

わずかに朱がさしたように見える。

それが見間違いや錯覚でないことを、少年の鋭い目は読み取っていた。

「……」

少年が女妖術師の胸元に手を伸ばした。

飛燕にも見切れないはずのそれは、だが、途中でイビルアイズの手に掴まれていた。

「今日は<ゴールドメダリオン>はないぞ。――お前は手癖が悪い」

柳のようにすらりと美しい眉をしかめ、闇から生まれた美女はコロンをにらみつけた。

彼女は、強力な魔力を秘めた黄金の装飾具をこの少年に何度も盗まれていた。

「えへへ……」

コロンがばつが悪そうに笑う。

いや、そのいたずらっぽい笑みは、盗みを見破られた盗賊のものではなかった。

「――!」

イビルアイズは弾かれたようにコロンから離れ、自分の身体を見た。

 

「……」

ない。

着けていない。

穿いていない。

胸乳を覆う布と、腰巻を。

「えへへ、欲しかったのは、メダリオンじゃないよ」

コロンが両手に掴んだ布きれをひらひらと振りながらにっこりと笑った。

──イビルアイズの下着。

女妖術師は青白い顔を真っ赤に染めた。

怒り──ではなく、羞恥。

「わわっ、ご、ごめん、ごめんなさいっ!」

惑乱のあまり、狂戦士もかくやという勢いで突っ込んできた女妖術師に、少年は慌てた。

「――き、緊急退避っ!!」

「!!」

少年は、スカートめくりの要領で闇色のローブの裾をめくり上げた。

用心深い女妖術師のローブは、幾多の防御魔法をかけられていたが、

──スカートめくりには対応していなかった。

突然目の前に現れた闇──自分のローブが視界に下がり落ちたとき、

イビルアイズはコロンを見失っていた。

「ど、どこへ行った?!」

怒りの標的が消えたことではなく、別の感情によってうろたえた声を上げたとき、

女妖術師は今までで一番強い衝撃にのけぞった。

ふっと、息をかけられたのだ──女性器に。

少年は、彼女のスカート、否、ローブの中に逃げ込んだのだ。

女妖術師は狼狽えきった表情になった。

 

「き、貴様、出ろ!!」

幽鬼のような青白い美貌、その頬が朱色に染まっている。

「やだ。君、ものすごく怒ってるもん。しばらくここでほとぼりを冷ましてる」

「出ろっ! ば、ばかっ、息を吹きかけるな。呼吸をするな」

「無茶なこと言わないでよ。スカートの中はせまいんだから呼吸が苦しいの!」

「い、息がかか…って……!」

二人の会話は矛盾だらけ──特に女妖術師のほうは支離滅裂だった。

この状態から逃れようとすれば簡単だ。

イビルアイズがローブをたくし上げて一歩下がればいい。

だが、女妖術師の選択肢にそれは最初からなかった。

「……暗くてせまいよぉ……ね、ロミルワ使っていい?」

「ば、ばか、やめ……」

強い調子の声は、だがことばとは裏腹に拒否の音色を含んではいなかった。

魔法防御がかかっているイビルアイズのローブは、ロミルワの魔法光を通さない。

だが、女妖術師はコロンがロミルワを使ったのを感じ取っていた。

見られる──少年に、自分の性器を。

「あ、……きれい」

コロンが感嘆の声を上げる。

何を評してそう言っているのか悟ったイビルアイズは思わずローブの前を押さえた。

それは、街娘が自分の急所を守るのに反射的にとる動きにも見えたし、

発情した牝が自分の性器のある場所に触れる仕草にも見えた。

だが結局それは、コロンの頭を押さえつける結果を生み出した。

──それが女妖術師の望みだった。

「むぎゅう」

イビルアイズの股間に顔を押し付けられた形になったコロンは、妙な声を上げた。

その語尾は、すぐにくぐもったものになり、次いで子猫がミルクを舐めるような音に代わった。

 

「ひっ!」

イビルアイズはのけぞった。

舐められている。

少年に、性器を。

立ったままで。

好きな男に自分の無防備な部分をさらけだし、蹂躙される快楽。

がくがくと揺れ動く身体を支えようとして、

女妖術師は、コロンの頭をさらに強く自分の股間に押し付けた。

コロンは、得たりとばかりに舌の動きを強めた。

それは、とても年端も行かぬ少年のものとは思えぬ巧みさをともなっていた。

唾液にぬめった舌が、割れ目から侵入してきたとき、

イビルアイズは、もはや声を上げることも叶わずに崩れ落ちた。

「……」

尻餅をつき、さらに石床の上に横たわる。

はぁはぁと荒い呼吸を繰りかえす。

ローブの裾がめくれ、コロンがひょっこりと顔を出した。

「えへへ、イった?」

「ばか……」

女妖術師が絶頂を迎えたか、否かは、薔薇色に染まった美貌と、

とろけるように潤んだ瞳で一目瞭然であった。

「えっと……しても、いい?」

「ばか……いまさら、そんなことを聞くな」

いつでもしていい、とはイビルアイズが何度か口に出して約束していたことだった。

女妖術師と少年の間では、強姦ということばは存在しない。

問題は、少年のほうが、イビルアイズがありったけの勇気を振り絞って言ったことを

すぐに忘れてしまうということだ。

だが、それも悪くはない。

コロンが自分の身体を求めることばを聞くのは、何度でも聞きたい。

イビルアイズは、コロンの前で、静かに下肢を広げた。

 

「うわ、すごい濡れてる。――あ、こっちの足、大丈夫?」

コロンはイビルアイズの義足を気遣った。

天真爛漫に自分中心なように見えて、こうしたところがちゃんとしているところが女妖術師を蕩かせてしまう。

「大丈夫だ。――はやく来い……」

「うん!」

男根は、大きさと形は少年とは思えぬものだったが、色と硬さは年齢相応の若々しさに満ちていた。

それが、成熟しきった女妖術師の女性器に飲み込まれていく。

「ああっ!」

「うわっ、すごいや。ぬるぬる」

少年のこわばりを迎え入れた粘膜の部屋は、蜜であふれかえっていた。

「君って、濡れやすいんだね」

「そ、そうなのか?」

イビルアイズは目を閉じた。

他の誰と比べているのか──聞こうとして、臆病な心がそれをとどめる。

「うん、エッチしやすくていいね」

「ばか」

目をつぶったまま眉根を寄せながら、イビルアイズは下半身に意識を集中した。

「あっ……」

自分を包む女性器が、急に締め付けを強くしたことに、コロンは声を上げた。

「ど、どうだ、具合はいいか?」

「うん、……すっごくいいよ、これ……」

「そうか……」

それはよかった、と素直に言える女に生まれていれば良かった。

だが、地下五階の娼婦の一人を罠にかけ、男を喜ばす閨技を聞き出した甲斐はあった。

「えへへ、すごくうまくなったね。いっぱい勉強したんだ。──ひょっとして、僕のため?」

無邪気に笑う少年に図星を指されて、女妖術師は狼狽した。

 

淫蕩な交わりは長く続いた。

少年は巧みで、情熱的で、そして女妖術師の精神と肉体は敏感すぎた。

イビルアイズは何度も絶頂に導かれ、コロンの下ですすり泣いた。

「ひっ…くっ……、も、もうっ、もうっ……」

女妖術師は汗と涙で潤んだ美貌をあげた。

「あ、もう一度イきたい? ちょっと待ってね、今すぐ……」

「ちがう……貴様も……いっしょに……」

イビルアイズの懇願に、コロンはちょっとびっくりしたような表情になったが、

すぐににっこりと笑った。

「うん。……中で、出していい?」

「ばか──いいぞ……」

「うん!」

少年の動きがさらに情熱的になり、女妖術師はさらに激しく反応した。

「くっ、い、イくよっ!」

「こ、来いっ……ぜんぶっ、我の中にっ……!!」

「う、うん……キス、していい?」

「!!」

コロンはイビルアイズの唇に自分のそれを重ねた。

おずおずとそれを受け入れた女妖術師は、少年の積極的な唇と舌の動きを感じると、

目を閉じて、それに応え始めた。

二匹の桃色の蛇が絡み合う。

イビルアイズがこれ以上はないというほどに上気した美貌に至福の表情を浮かべたとき、

コロンは声をかみ殺しながら彼女の中で果てた。

愛しい少年の、若い、新鮮な精液が、女妖術師の膣と子宮を占領していく。

イビルアイズはコロンの脈動を胎内に受けながら、これまでで一番の絶頂を迎えた。

 

「えっと、さ。――お腹すいてない? パン、あげる」

情交の後、なぜか不機嫌にそっぽを向いたままの相方に、パンを差し出す。

女妖術師は、それをだまって受け取り、かじった。

「……」

「おいしい? 「今日のパンは会心の出来だ」って父上が言ってた」

「……」

イビルアイズが、無言でわずかに頷く。

コロンは頭をかいた。

年上の愛人のことは何でも分かっているつもりだったが、

今なぜ彼女がこんなに不機嫌なのか、わからない。──修行が足りないようだ。

彼の母親は、忍者としての武術や体術はしっかりと教え込んだが、

房事に関することは一切教えなかった。

いまや平凡な主婦となった<最強のくの一>にとって、それはもはやどうでもよいことのようだった。

──最愛の男と夫婦(めおと)になった女にとっては。

だから、コロンはそうしたことを自分で一から覚えなければならないのだが、

朝っぱらから隣の部屋で情熱的に交わり始めた両親をおもんばかって、家を出て迷宮をうろつく毎日の息子に、

女心のちょっとしたヒントをアドバイスしてくれてもよさそうなものだ。

とりあえずプレゼント、と思って父親の力を借りたが、どうにもうまくいかないらしい。

いや、彼の父親の焼いたパンは、リルガミンで一番うまいのだが。

「……」

ふいに、イビルアイズは、コロンのほうを向いた。

睨みつける<邪眼の女妖術師>にどきり、とする。

恐怖や警戒によるものではない、心の動きに。

「……頼みがある」

「え?」

「……私以外の女に、こういうことをさせるな。――そのかわり、私が、好きなだけさせてやる」

「え、ああ……うん……」

とりあえず、コロンはうなずいた。

 

「……」

体中の勇気を振り絞った提案が受け入れられて、イビルアイズはひそかに安堵の吐息をついた。

「――じゃ、君も、僕以外の男の子とこういうことしないって、約束してくれる?」

安堵したところに、予想外の一言だった。

思わずティルトウェイトの呪文をかけそうになる衝動を、女妖術師は必死で堪えた。

(我に貴様以外の男がいると思っているのか、この阿呆!!)

それを言える女であったら、もっと早くこの少年と愛し合うことができたかもしれない。

──だが。

表情を消してむっつりと頷いたイビルアイズは、目の前に差し出された少年の手を見ながら思った。

「じゃ、指きりしよっ!」

……これはこれで悪くはない。

「――指きりげんまん、ウソついたら手裏剣千本のーますっ!」

少年と、女妖術師は、小指同士で結ばれた。

恋人たちは、それからどちらからとなく、もう一度唇と唇で結ばれて、

――それから別のところで、もう一度繋がった。

 

 

 

……リルガミンの伝承にいわく──。

<イビルアイズの部屋>でトラップ部屋に入っても女妖術師が現れない時は、

たいていその直前に忍者の少年が彼女のもとを訪れているときだから、

<ゴールドメダリオン>を盗み出すチャンスを与えられなくても、運が悪いとあきらめたほうがいい。

あんまり文句を言うと、人の恋路の邪魔した罪でナイトメアに蹴られて死んでしまう呪いをかけられるから。

そして次の日あたりにもう一度たずねてみれば、陰湿で陰険なことで有名な女妖術師は、

けっこうな上機嫌で、アイテムをいつもよりも格安で売ってくれたり、

ゴールドメダリオンをちょろまかしたりしてもとがめなかったりするのだ──。

 

 

 

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